道がないんです1本も 日本で唯一「車で移動できない県境」とは?

隣接する都道府県であれば、どんなに接する面積が少ない自治体どうしでも、必ずや往来する道はあるはず。しかし、隣接しているにも関わらず、クルマでの往来は必ず別の県を通らなければならないという県と県の組み合わせが、日本で一つだけあります。

クルマで通れないただ一つの「県境」とは

 海で隔てられた北海道と沖縄県を除き、隣接する都道府県であれば、どんなに接する面積が少ない自治体どうしでも、どこかに往来する道はあるものです。しかし、隣接しているにも関わらずクルマで往来できず、別の県を必ず経由しなければならないという「県境」が、日本で一つだけあります。

 結論からいうと、それは群馬県~福島県です。

 群馬県と福島県は17kmほど県境を接していますが、車で通れる道が1本もつながっていません。両県のあいだには、「尾瀬」の大自然がまたがっています。

 地図上で群馬県側から尾瀬に向かって延びている道路のひとつが、国道401号(群馬県内はほとんどが県道1号との重複区間)です。401号は法令上の起点が福島県会津若松市、終点が群馬県沼田市となっていますが、尾瀬の前後は分断されています。その群馬県側の分断地点(大清水小屋)から先の車道(一般車通行不可)は群馬県道・福島県道1号沼田桧枝岐線で、こちらも法令上は群馬と福島を横断するものの、やはり県境区間は木道となっていて歩行者しか通れません。

 この尾瀬を通る県道1号(国道401号)のルートは、沼田と会津を結ぶ沼田街道です。交易上も重要なルートだったことから、昭和30年代より道路建設が始まったものの、県境部の車道建設は断念されたと、福島県がウェブサイトで紹介しています。

 それ以前、尾瀬にはダム建設計画と、その反対運動の歴史がありました。福島県は尾瀬の自然を守り抜いた立役者として、県境付近にある「長蔵小屋」の小屋主だった平野長蔵・長英・長靖3代の功績を紹介しています。道路建設の反対運動においては、平野長靖が環境庁長官の自宅へ直訴し、白紙撤回に大きく貢献したと伝えています。

 つながっていない県境の車道は、日本の自然保護発祥の地と呼ばれる尾瀬の歴史を地図からも象徴しているといえるかもしれません。

※一部修正しました(2/11 13:07)