トヨタ傘下となっても実は続けていた、ダイハツの小型セダン

トヨタから生産を委託された2代目パブリカに自社製FEエンジンを載せたところが単純なOEMではない…ダイハツ コンソルテ

1960年代のヒストリックカーや、1990年代の日本車黄金期の高性能車が注目されがちの旧車ブームですが、その中間で旧車と呼ぶには抵抗もある世代も多い70〜80年代にも面白いクルマもある!と考えて振り返る企画「プレイバック70-80’s」。

今回は小型車の自社完全開発を断念していた時期のダイハツが、トヨタ傘下となって同社の小型車をベースにダイハツ版を作って販売していた小型セダン、「コンソルテ」と「シャルマン」を紹介します。

2代続いたシャルマンの2代目は、一時期4A-GEを積んでD1GPにも参戦していたのでちょっと知られていますが、初代シャルマンやコンソルテは知らない読者も多いのでは?

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ダイハツ製FEエンジンを搭載!クーペもあったコンソルテ

コンソルテの上級派生車としてパブリカスターレットが登場するとダイハツ版もコンソルテの上級グレードとして販売、4ドアセダンのほか2ドアクーペもあり、クーペは画像のようにレース出場車もあった(撮影:兵藤 忠彦)

1967年、日野自動車とともにトヨタ傘下となったダイハツですが、トヨタでは新たに傘下へ置いたメーカーへそれぞれの得意分野を任せるとともに、モータリゼーションによるマイカー普及と爆発的に増える販売台数に対し、不足する生産工場の確保も目的としました。

ダイハツの場合はオート三輪以来の特技である小型商用車や軽自動車を任されつつ、下請け工場としてトヨタ車の生産も求められましたが、具体的には小型商用トラック/バンのライトエース(後にタウンエースやマスターエースも)と、小型乗用車のパブリカなど。

なお、当時のダイハツには1963年に発売した「コンパーノ」という、独自開発の小型乗用車があったものの、近代的なモノコックボディではなく旧態依然としたラダーフレーム式の重いクルマだったので販売はイマイチ振るわず、1969年で生産を終えます。

代わってダイハツの生産ラインに乗ったのが同年発売の2代目トヨタ パブリカで、ダイハツもそれをベースに「コンソルテ」として販売しました。

ただ、面白かったのは現在のOEM車や共同開発車のように「外装やエンブレムが違うだけで中身は同じ」ではなく、コンパーノでも使っていた1リッター直4OEVのFE型エンジンを搭載したこと。

2代目バブリカは同排気量で同じ58馬力のトヨタ2Kエンジンを積んだので、コンソルテもそれでいい…とは思わなかったのは、ちょっとした意地だったのか、あるいは自社製ガソリンエンジンの開発・生産技術を維持するためだったのか?

後に追加した1.2リッターエンジンは素直にトヨタ3Kエンジンを積みましたが、1977年の販売終了直前までダイハツFEエンジン搭載車が残っていました。

なお、ピックアップトラックやバンがあったパブリカとは異なり、コンソルテは当初2ドアベルリーナ(セダン)のみ、上級派生車のパブリカスターレット(初代スターレット)が登場すると、ダイハツ版のコンソルテにも4ドアセダンと2ドアクーペが追加されました。

FEエンジンを積んだコンソルテでラリーなどモータースポーツへの参戦は続けており、コンソルテクーペはパブリカスターレットのクーペ同様、ツーリングカーレースへ参戦した例もあったようです。

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