ソ連の元祖「エンジン尻ジェット旅客機」どう生まれた? ツポレフ屈指のヒット作Tu-134とは

59年前の7月29日、旧ソ連のジェット旅客機、「ツポレフTu-134」が初飛行しました。同国の旅客機のなかではヒットを記録したこの機ですが、その開発経緯は西側の新型機とは少々異なります。

ほんとに初飛行は1963年7月29日?

 1963年7月29日は、旧ソビエト連邦(現ロシア)製ジェット旅客機、「ツポレフTu-134」が初めて空を飛んだ日とされています。形状はダグラス社の大ヒット機「DC-9」シリーズなどに似たエンジンを胴体後部に配した「リアジェット機」で、東側諸国を中心に、800機以上が製造されました。とはいえDC-9と比べ脚も長く、初期タイプでは機首先端がガラス張り風防になっているなど、明らかに「東側諸国らしい」ルックスです。

 実は、この初飛行と記録されている「7月29日」という日付、厳密にはクエスチョンマークがつくものとなっています。

 旧ソビエト連邦には、航空機を開発する部署として設計局が配置されており、輸送機ではアントノフ設計局、ツポレフ設計局などが知られています。これらは、現在でもジェット輸送機を開発するメーカーとして存在しています。

 Tu-134を製造したツポレフ設計局が最初に開発したジェット輸送機は、Tu-104というモデルでした。これは世界初のジェット旅客機とされる英国デ・ハビランド製の「コメット」のように、主翼の付け根にエンジンを左右2基配置するスタイルで、1955年に初飛行。このモデルは「コメット」に次ぐ世界で2番目に路線に就航したジェット旅客機となっています。

 その次代のモデルがTu-124で、Tu-104のエンジンを「ターボジェット・エンジン」からより効率の良い「ターボファン・エンジン」に換装したモデルです。これをベースに、当初「Tu-124A」として開発されたのが、Tu-134でした。ただ、Tu-134の場合、ベースとなった前2代のモデルとは大きく異なる設計が施されています。

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ソ連製リアジェットが生まれた背景

 Tu-134の開発前、欧州で斬新な設計が施されたジェット旅客機が誕生します。フランス製の「シュド・カラベル」です。同機はエンジンを機体の後部に配する「リアジェット」のスタイルを世界で初めて採用。おもに100席以下の席数を持つ短距離路線用の旅客機で、このスタイルは一種のトレンドとなります。

 というのも、リアジェットは主翼にエンジンを搭載しないため、主翼に強力なフラップ(高揚力装置)を設置できることから、短い滑走路への離着陸ができます。Tu-134は不整地への離着陸も可能だったとか。また、エンジンと客席の距離が稼げるため、旅客にとっても静粛性の向上にも繋がりました。

 そういったトレンドを踏まえ、ツポレフ設計局では、エンジンを尾部に移動したTu-124の改良版の「Tu-124A」を開発し、初飛行させたのが、先述の1963年7月29日です。その後、機首上げ時の水平尾翼の利きを改善するなどの改造が行われたのち、後年量産型の「Tu-134」として改めて初飛行したと記録されています。

 Tu-134は、近距離小型旅客機として、エンジンも2基と少なく、機体自体も整備性がよかったと考えられることから、旧ソビエト連邦内のみならず近隣東側諸国でも採用、ヒット作となりました。

 ロシアのフラッグキャリア、アエロフロートは、西ヨーロッパと東ヨーロッパのほぼすべての就航都市に同機を投入。1967年のモスクワ~ストックホルム航路を皮切りに、国際線にも投入されました。同社は「操作のしやすさと操縦のしやすさで非常に人気の機種だった」とこの機体を評価しています。

 なお、アエロフロートの同型機は2007年末で全機が退役。航続距離の関係から日本への飛来例はほとんどなかったようです。筆者は成田空港でTu-134を見たことはありましたが、おそらく傘下のキルギスタン航空のものだった気がします。