戦後日本の経済成長を支えた「新幹線」は、太平洋戦争で人間爆弾と恐れられた殺戮兵器「桜花」の技術をもとに設計されたことはご存知でしょうか。
桜花の開発に加担したことを悔いた開発者メンバーのひとりは、戦後日本で鉄道事業の発展に尽力しながら平和を追求。その過程で「新幹線」を開発したそうです。
今回は、新幹線誕生のルーツとなった人間爆弾・桜花について紹介します。
大量虐殺兵器・桜花
1941年12月7日〜1945年9月2日まで続いた「太平洋戦争」において、日本軍が導入した特攻専用航空機が「桜花」でした。
太平洋戦争末期の沖縄戦で、55人の軍人が桜花に乗り込んで特攻。無人機と違って、人間が最後まで操縦して突撃するため、ヒットして敵を撃破できる確率が高かったそうです。
特攻隊
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特攻とは、軍用機や潜水艇に操縦者が搭乗したままターゲットに突撃する攻撃方法のことを指します。
太平洋戦争時の日本は、この特攻専用パイロットを育成。特攻部隊に選ばれた軍人の家族や親族は、片道切符と知りながら「お国の名誉」と称えて子どもを送り出したそうです。
とくに航空特攻を担った「KAMIKAZE(カミカゼ)」は、戦後80年が経過した現在も知られています。
なぜ特攻は必要だったのか
1941年12月8日、日本軍はイギリス領マレー半島とハワイ・真珠湾の同時奇襲攻撃作戦を開始。翌年にはミッドウェー海戦やソロモン諸島を巡って消耗戦となり、熟練パイロットや戦闘機を多数消失したうえ、工業生産力に勝るアメリカ軍に追い詰めらてしまいます。
そこで、日本軍の上層部は「通常攻撃では歯が立たない」と判断し、特攻でしか勝ち目がないと考えるようになったのです。