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恩田陸「才能にはいろいろな発露の仕方がある」 渾身のバレエ小説『spring』が描く、新たな天才の姿

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――大丈夫ですよ。恩田先生は、芝居のオーディションに挑む人々を『チョコレートコスモス』(KADOKAWA)で描いて、ピアノのコンクールに臨む若者を『蜜蜂と遠雷』(幻冬舎)で描いてと、芸術を小説で発表することを続けてきました。『spring』でバレエに挑んだのも、そうした芸術への興味からですか。

恩田:お芝居を書いて次にピアノコンクールを書いたので、次は何だろう、さらにハードルを上げるとしたら踊りかなと思っていたところに、編集者からバレエの小説について書きませんかと言われたのがきっかけです。もともと大学でジャズバンドをやっていて、ミュージカルも見るようになり、それでバレエのコンテンポラリーのダンスを見るようになっていました。ただ、全幕のクラシックバレエを見るようになったのは『spring』を書くにあたって取材をし始めてからですね。

■春=springに込めた想い

――『spring』で春がコリオグラファーとして手がけるのはコンテンポラリーの舞台が多いので、コンテンポラリーだけ観ていれば十分といったことにはならないのですね。

恩田:やはりクラシックを観ないと、バレエを全部理解できたことにならないのではないでしょうか。バレエついて書くならクラシックも観なければということで、しゃかりきになって観ました。クラシックが踊れない人はコンテンポラリーも踊れない、これがすべての基本になるということをすごく実感しました。ただ、観れば観るほど分からなくなる部分があって、なかなか書き始める踏ん切りが付かなかったんです。どうやって書けばいいんだろうということを、ひたすら考えていました。

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――いよいよ書くとなった時、何か踏ん切りが付くようなことが起こったのですか。これなら書けるといった啓示のようなものが降りてきたとか……。

恩田:それはないです(笑)。理解したと思うところまで待っていたら、いつまで経っても書けないなと感じたので書き始めました。もう見切り発車ですね。

――それで書き始めたということですが、一口にバレエを書くといってもいろいろなフォーマットが想定できます。山岸凉子先生の『アラベスク』のように女性を主人公にする場合とか、萩尾望都先生の『ローマへの道』のように男性のダンサーが主人公のものとか。『spring』はどのように設定を決めていったのですか。

恩田:男性で、ダンサーだけれど振り付けもする人を主人公にするということ、最後にストラヴィンスキーの「春の祭典」を踊るというところまで決めていました。それだけしか決めてなかったとも言えますが。

――ストーリー上の展開は連載しながら考えていかれたということですね。4章構成にして、それぞれを異なる登場人物の視点から描くということも、書きながら決めていった感じですか。

恩田:「spring」というタイトルだけは決めていたんです。スプリングにはいろいろな意味がありますよね。春だけでなく泉だとかバネだとか。跳ねるといった動詞としての使い方もあって、そうしたスプリングが意味する動詞を各章の題にしようと決めていたんです。主人公の名前もspringだから春でいいかといった感じで決めました。

――4章にしたのは、春が四季のひとつだからという訳ではないんですね。確かに章題は「跳ねる」「芽吹く」「湧き出す」「春になる」とspringから読み取れる動詞になっています。

恩田:あとはやっぱり「春の祭典」からですね。バレエ小説を書くならタイトルはこれしかないというのはもう、ずっと思っていました。

■エキセントリックではない天才を描く

――春という主人公が本当に魅力的で引きつけられました。まさに“萌え”を引き起こされるキャラクターです。バレエの天才で振付家としても天才的な才能の持ち主で、なおかつ中性的で美しいという存在。こうした属性のキャラクターは繊細で苦悩した挙げ句に悲劇的な末路を迎えるイメージがありますが、春はまるで違っていますね。

恩田:春は天才だけれど、エキセントリックなところがまったくない人です。天才って、書いていくと理解不能のモンスター的なものになってしまいがちなんです。「春の祭典」のオリジナルの振り付けをしたニジンスキーなどは本当に破滅型でしたが、そうしたバレエダンサーかくあるべきというものは嫌だなあと思っていたので、春はそうはしませんでした。最後に『春の祭典』を踊り切って終わる。そう決めていましたし。

――結果、とても読後感の良い作品になったと思います。春の開放的なキャラクター像については、書く前から決めていたことですか?

恩田:それが、書いていて春のことがよく分からなかったんです。実は最初は、全4章をすべて春以外からの他人の目線で書こうと考えていました。それが3章の「湧き出す」まで書いても分からないままで、それなら最後は本人に語らせようとして、4章は春の視点で書きました。登場人物というのはやはり書いてみないとわからないところがありますね。書きながら、私自身も春を発見していった感じです。

――キャラクターを立てて描くのが小説と思っていました。恩田先生は他の小説でも、主人公についてかっちりと固めることなく書き始めるものなのですか。

恩田:だいたいそうですね、主要人物をひとりかふたり決めて、喋らせてみて「こういう性格なんだ」と理解できたところで、この人が友達になるのはこんなこういう人だろうみたいな感じに、他の登場人物も考えてく感じです。あと『spring』について言うなら、バレエ全体を描きたいということもありましたね。

――登場人物たちを通して物語世界全体を描くような……。

恩田:私の興味が「才能」というものにあったということもあります。才能にはいろいろな発露の仕方があるんですよ。『蜜蜂と遠雷』(幻冬舎)もピアニストの話でしたが、決して本人が名ピアニストという訳ではなくても、教師として優れているといった感じ。世界的なピアニストを見るとこの人もこの人も同じ先生だということがよくありますよね。そうした名伯楽的な人が持っている、教える才能というものにも興味があります。あとは、ひとりではなく誰かと組んだ時に、すごく良いサポートができるような才能。そうしたさまざまな才能の発露の仕方を『spring』では書いたつもりです。

――確かに、春という主人公はとても才能があって魅力的ですが、そんな春の周りにいる人たちも、深津純にしても滝澤七瀬にしてもヴァネッサにしても、それぞれが高い才能の持ち主です。春との違いをどうやって出そうといったことは考えましたか。

恩田:それぞれの個性の違いとかテクニックの違いみたいなのは書きたいなと思っていました。いろいろなダンサーが出てくるのはそれが理由です。誰がお気に入りということはなくて、純も好きだし七瀬も好きです。自分が書いた登場人物は全員可愛いと思っています。ヴァネッサも好きだしハッサンも可愛いしフランツはまじめでちょっと難儀な人ですけど、やっぱり好きです。

――『spring』の章立てでは、最初の「跳ねる」が春とは若い頃からいっしょに踊ってきたダンサーの深津で、次の「芽吹く」が春にいろいろな知識を与える叔父の稔、そして「湧き出す」はダンサーから作曲家になった七瀬と、それぞれに違った視点から春を語らせています。この順番で描いていった理由は?

恩田:まず深津に春の幼少期について話してもらって、それから稔おじさんの視点で春という人間を発見していった感じです。その2章の最後に七瀬が出てきて、3章はこの子だなといった感じに芋づる式だったような気がします。

――七瀬は音楽面では春に劣らない天才ぶりを見せてくれるキャラクターでした。3章は、片やダンサーでコレオグラファー、片や作曲家という2人の天才がどのようにコラボレーションしてくのかといった展開に引き込まれました。

恩田:3章で七瀬を登場させたのは、春と一緒に仕事をするからということもありますね。それで春がどのような作品を作っていったのかを、いろいろな角度から紹介できるかなと考えました。春が作るダンスの演出を考えているのはすごく楽しかったです。

――ラヴェルの「ボレロ」を振り付けるところは読んでいてとてもスリリングで、そして公演の描写に感動しました。というより「ボレロ」に挑むとはと驚きました。モーリス・ベジャールの振り付けがありますし、ローラン・プティも作っています。

恩田:「ボレロ」を書くのも楽しかったですが、ベジャールの印象があまりにも強くて難しいことは難しかったです。やはりジョルジュ・ドンやシルヴィ・ギエムの踊った「ボレロ」のイメージから逃れるのは難しいですよね。ギエムの「ボレロ」は観に行きましたが、やはりすごかったです。スーパースターですよ。

■『spring』の振り付けは実演される?

――恩田先生が春として振り付けた「ボレロ」や「春の祭典」やプロコフィエフの「三つのオレンジへの恋」を実際の舞台で観てみたいです。

恩田:ここまで詳しく書いたんだから、誰かこの小説を読んだコレオグラファーの方にやって欲しいなと密かに思っています(笑)。

――春のようなダンサーとしても振付家としても天才の作ったバレエを踊れるダンサーは今の世界にいますか?

恩田:今のダンサーは皆さん、もの凄くレベルが高いです。日本のバレエ団もめちゃくちゃ良くて、きっと春の振り付けを形にしてくださると思うので、ぜひお願いしたいです。

――『spring』を読んでバレエを観たくなった人がいたとしたら、何を観たらいいですか?

恩田:バレエはどれを観てもハズレはありません。今年はNDT(ネザーランド・ダンス・シアター)というオランダのコンテンポラリーで有名なバレエカンパニーが来日しますが、これは多分、世界最先端のコンテンポラリーなので見て欲しいですね。人気になりすぎて、チケットが取れなくなるのは困りますが……。

――これからバレエを観ようとする人は、どこから接触していくのが良いですか? 踊りの凄さでしょうか、演目でしょうか。

恩田:もう“推し”しかないです。この人が好きといった推しのダンサーを見つけて通うようになるのが、入り口としては良いんじゃないでしょうか。そうやって見ていくうちに、テクニックとか踊り方の違いが感じられるようになって、どんどんと見に行きたくなります。

――クラシックのように同じ楽曲で同じ振り付けの演目でも違いがありますか。

恩田:むしろクラシックの方が、型が決まっているからこそ踊る人の個性が出ると思います。同じ振り付けでも人によってその表現の仕方が全然違うんです。クラシック音楽もみな同じ楽譜見て弾いているのに全然違うじゃないですか。歌舞伎でも型は決まっているのに役者によって違いがあります。それと同じです。そのダンサーの踊りのどこが魅力的なのかを発見していくのが面白いですね。

――そう聞くといろいろと行ってみたくなりますね。

恩田:『spring』を読んでバレエに魅力を感じた方には、実物は本当に素晴らしいので見て欲しいという思いがすごくあります。バレエだけに限らず舞台芸術を生で見て欲しいですね。自分の書い小説が、そうした舞台芸術を見に行くきっかけになればということはすごく思っています。

(文=タニグチリウイチ)

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