top_line

あなたの語彙力が試される!
無料ゲーム「ワードパズル」で遊ぼう

『あなたがしてくれなくても』が突きつける“結婚観の歪み” 原作漫画と異なる設定が問うもの

Real Sound

 しかし、SNSには「新名さんが可哀想」「楓には結婚は向いてない」「そんなことなら結婚しなければ良いのに」という声が溢れていた。

 確かに、誠は可哀想。でも、長い人生の中で仕事を最優先したい時期は男女共にあるものだし、そうした時期にはパートナーがフォローするというのもお互い様ではないか。深夜にヘトヘトで帰宅したとき、起きて待っているのではなく、寝ていてくれるほうが気楽だということもあるし、その後に求められたら「疲れていて、それどころじゃない」と思うし、「そもそもそのために起きていたのかよ」と受け止めてしまっても仕方がないのではないか。

 そもそも誠は、自身の母親(大塚寧々)が専業主婦で、夫に献身的で、常に自己犠牲の人に見えていたからこそ、自分のやりたいことを持ち、はっきりモノを言うキャリアウーマンの楓に惹かれたのだった。その出発点を思うと、ある程度仕方がない気がするのに、結局、誠は自身の母親に近い、夫に何でもやってあげる献身的なタイプのみちに惹かれていく。そして、体の関係よりももっと重い、精神的支えだと、妻・楓に告白してしまうのだ。

 一方、陽一は、コミュニケーションを怠り、妻に察してもらう、何でもやってもらうのが当たり前で感謝もない夫。それでいて、セックスレスに悩むみちに対して「性欲強くない?」などと言いつつ、バイト先の女性とはいたしてしまい、雑誌で読んだ「妻だけED」に自分をあてはめてみること、浮気という罪を自分の中に抱えていられず、妻に打ち明けて自分だけスッキリすることなど、幼稚で身勝手な面には辟易する。

 しかし、一方で、気が合っていて仲が良いなら良いじゃないか、夫婦はそればかりじゃないはずという主張自体には、頷けるところもある(※結局、浮気によって説得力がなくなったが)。それに、セックスレスの事ばかり言われると、余計に意識し、プレッシャーでできなくなる心理は理解できる。

広告の後にも続きます

 みちはみちで、一生懸命料理し、失敗したほうは自分が食べているのに、それに気づくこともなく、ゆっくり味わいもせず、作業のように、秒で平らげる夫の鈍感さを前に、小言ぐらい言っても良いのではないか。自分本位で、相手の痛みに鈍感で、それでいて自分事には繊細な面倒くさい男を、少しでも軌道修正させるべく、何ら働きかけることもなく、「そういう人」と放置してきたのは、他でもない、みち自身だ。

 ちなみに、本作の中で設定が最も大きく変わっているのは、陽一だ。原作では会社員で、先輩の女性となし崩し的にぬるりと浮気する設定だったが、ドラマではカフェ店長という、より自由で縛りのない職業で、浮気相手も、正直で飾らない親しみやすさと無防備さのある年下のバイト女性(さとうほなみ)に変わっている。

 ドラマの中で非常に印象的だったのは、浮気を告白してから家に帰って来なくなったみちに会うため、会社に突然陽一が訪ねて来るシーン。そのまま会社に行こうとして、受付をするよう止められ、対応してくれたみちの後輩・華(武田玲奈)に挨拶も返せず、伝言を聞かれても「ないです」の一言。これではまるでお母さんに会いに来た小学生の息子だ。

 傍から見ると、30代のおこちゃま男に呆れるばかりだが、みちは「何も言わない、何も言えない人」が「ここまで会いに来た」という事実に対し、嬉しくなり、帰宅を決意する。夫婦というのは不思議なものだ。

 そもそも、それぞれの人物の行動原理が理解でき、「だったら仕方ない」「それを選んだのは自分自身」という自己責任論で片付けてしまっては、夫婦なんて成立しないのかもしれない。

 そう思うと、本作の登場人物の言動やSNSの反応に抱く違和感は、そのまま自分自身の夫婦観・結婚観の歪みや、人としての未熟さ、身勝手さ、傲慢さとイコールにも思えてくる。『あなたがしてくれなくても』は、もしかしたら自分自身のアンモラルかつ非常識さ、狭量さ、不寛容さを試される、気づかされる、自身の心の鏡のような作品かもしれない。

  • 1
  • 2
 
   

ランキング(読書)

ジャンル