筆者もこの種の表情の顔芸を見たことがなかったので驚きましたが、もっと驚いたのは、そのモノマネは今回の番組用に急遽作ったものだということ。キンタロー。さんの豊かな才能には舌を巻きます。
筆者は以前、キンタロー。さんの代表作・前田敦子さんのモノマネができた経緯についてお聞きしています。
「私、前田敦子さんに似てるって言われたんです。これ本当です。昔、スナックでバイトしてたときに、ぐちゃぐちゃに酔いつぶれているお客さんが私を見て、『君さ、すごく残念なんだけど、AKB48の真ん中の子に似てるよね』って。
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かわいい人に似ていると言われたのは初めてだったので、衝撃的で。それで、モノマネをやるとき、そのときのことを思い出してやってみようと思ったんです。
敦ちゃんのモノマネを初めてやったのはバイト先のレストランのお客さんの前でした。レストランの控室で30分ぐらい練習して、すぐにやったから最初はすごく雑でした」
練習時間が30分だけだった前田敦子さんのモノマネが、後に『細かすぎて伝わらないモノマネ選手権』(フジテレビ系)で優勝し、キンタロー。さんのブレークのきっかけになったのです。
キンタロー。さんは、『細かすぎて伝わらないモノマネ選手権』のMC・石橋貴明さんとの思い出も明かしてくれました。
「普通、タレントさんは収録が終わったら楽屋にすぐ帰るじゃないですか。でも貴さんは、楽屋から私たち全員が出てくるまで待っててくれて。それで、列になっている芸人一人一人に、貴さんが毎回ネタの感想とかひと言かけてくれるんです。
貴さんは、顔が大きい私のフォルムにビックリして、本番で『何この子、銀行の置き物?』っていじってくれて(笑)。それで収録後、『面白かったよ。めちゃくちゃラッキーな体型だね。それで踊れるんだから君は絶対売れるよ』って褒めてくれたんです。
私は、この大きい顔の見た目で小中高といじめられてきて……でも、お笑い界の頂点にいる貴さんに『面白かった、売れる』と太鼓判を押されたことがめちゃくちゃ嬉しかったです」
練習時間30分から始まった前田敦子さんのモノマネで大ブレークしたキンタロー。さん。今回、番組用に急遽作った天才的な顔芸「架空モノマネ・茂子さん」も、新たなヒットの予感がします。
インタビューマン山下
1968年、香川県生まれ。1992年、世界のナベアツ(現・桂三度)とジャリズム結成、2011年に解散。同年、オモロー山下に改名し、ピン活動するも2017年に芸人を引退しライターに転身。しかし2021年に芸人に復帰し現在は芸人とライターの二足のわらじで活動している。