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【トッププレーヤーの高校時代】齋藤拓実(前編)「父と兄の影響でバスケを始めた」

バスケットボールキング

――よく真似していた選手は?
齋藤 トニー・パーカー(元サンアントニオ・スパーズほか)やクリス・ポール(フェニックス・サンズ)、ラジョン・ロンドはすごく記憶に残っていますね。あと、ドウェイン・ウェイド(元マイアミ・ヒートほか)も結構好きでした。

――小学校での最高成績は?
齋藤 小6の時に川崎市で優勝しましたが、神奈川県大会では勝てませんでした。

――神奈川県のミニバスはレベルが高いのですか?
齋藤 そうですね。僕のチームはずっと川崎市ですら優勝できなかったのですが、僕の代で初めて優勝して。でも、神奈川の壁というか、県大会の壁はとても厚いように感じました。

――小学校卒業後、川崎市立白鳥中学校へ進学します。
齋藤 実家は東京都なのですが、ミニバスのメンバーと一緒にやりたかったので越境して入りました。

――その中学校へはミニバスのメンバーがそろって進学していたのですか?
齋藤 全員ではありませんが、一番集まっていました。実は兄が川崎市のミニバスから白鳥中というルートを通っていて、その流れで僕も同じルートになりました。

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――では、中学でもチーム内での役割は大きく変わらなかったのですね。
齋藤 僕の代の選手全員が進んだわけではなく少し減ってしまったので、小学校時代と比べてよりエースみたいな感じになりましたね。

――中学時代はどのような指導方針だったのですか?
齋藤 顧問の方は素人だったので…。指導者がすごくて集まったわけではなく、学区内で白鳥中が近かったから行っただけで。試合中は戦術的な指示をしてくれましたが、その試合に僕の父が見に来た時はハーフタイムにみんなで父に話を聞いていたりしました。

――中学時代の最高成績は?
齋藤 中3の時に川崎市で準優勝して県大会へ進みましたが、1回勝てたくらいです。

――チームとしては全国大会へ進めませんでしたが、齋藤選手はジュニアオールスターに選出されました。
齋藤 ジュニアオールスターはレベルがめちゃめちゃ高かったですね。その時優勝した福岡県とも対戦したし、のちに大学やプロで戦う選手と対戦できたのは大きな経験でした。そういう選手は当時からスーパースターで、全国の壁は高かったですね。

――現在Bリーグに所属していた選手と対戦したのですね。
齋藤 石川県代表の森井(健太/横浜ビー・コルセアーズ)は当時身長が高くて視野が広かったですし、福岡県のエースだった柿内輝心(元熊本ヴォルターズ)は得点能力がとにかく高かったので、その2人はすごく記憶に残っています。

――そんなすごい選手と対戦したことで、モチベーションにつながる部分はありましたか?
齋藤 川崎市という狭い地域ではワンマンチームで点を取れましたが、全国レベルになるとやっぱり自分はまだまだなんだ、というのはすごく実感しました。

――中学校卒業後、桐光学園高校へ進学しましたが、その経緯は?
齋藤 4つ上の兄が桐光学園に進んでいて、兄が高1で僕が小6の時に高校でミニバスの大会が開かれたんです。その時に先輩方や監督に「将来桐光に来いよ」と言われていましたし、ジュニアオールスターでチームメートだった選手が桐光に行くということだったので、進学を決めました。

 僕が入学するまでジュニアオールスターに出場した選手が桐光に進む例はあまりなかったのですが、僕の代は3人も集まって。それをきっかけに、ジュニアオールスターに選ばれた子が桐光を選ぶようになりました。

――齋藤選手がパイオニアになったのですね。
齋藤 もちろん過去にもあったとは思いますが、1学年に1人だけとか。僕の代がウインターカップで結果を残したことで、下の世代が続いてくれるようになりました。

PROFILE
齋藤拓実(さいとう・たくみ)名古屋ダイヤモンドドルフィンズ
神奈川県の桐光学園高校出身。高校2年次にインターハイとウインターカップへ出場し、ウインターカップではベスト8進出へ大きく貢献した。最終学年ではインターハイへ出場するも、ウインターカップでは神奈川県大会決勝で敗れ全国出場を逃した。高校卒業後は明治大学へ進み、2017年にアルバルク東京へ入団。滋賀レイクスターズ(現滋賀レイクス)でのプレーを経て、2020年に名古屋ダイヤモンドドルフィンズへ加入し、今シーズンからキャプテンを務める。
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