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石灯籠を愛するアメリカ男性が、ニッポンの石職人に学ぶ!石の塊を手作業で削る技に感動:世界!ニッポン行きたい人応援団

テレ東プラス

ニッポンに行きたくてたまらない外国人を世界で大捜索! ニッポン愛がスゴすぎる外国人をご招待する「世界!ニッポン行きたい人応援団」(月曜夜8時)。毎回ニッポンを愛する外国人たちの熱い想いを紹介し、感動を巻き起こしています。

今回は、こんな方ならニッポンにご招待したい!「ニッポン行きたい人応援団」と「ニッポンにご招待したら人生変わっちゃった!スペシャル」をお送りします。

独学で肉じゃがの作り方を研究するオーストラリア女性


紹介するのは、オーストラリアに住む、「肉じゃが」をこよなく愛するエリカさん。


ニッポンの家庭の味、肉じゃが。その発祥は明治時代。長期にわたる洋上任務をしていた海軍では、栄養失調になる人が増加していました。
そこで重宝されたのが、加熱後もあまり栄養価が変わらず、長期保存に適したじゃがいも。栄養価の高い牛肉と、ビタミンや食物繊維が豊富なじゃがいもを使った「甘煮」という料理が開発され、これが肉じゃがの起源ともいわれています。

エリカさんが初めて肉じゃがを知ったのは、5年前。日本人の友人が振る舞ってくれたのです。その味が忘れられなかったエリカさんは、本やインターネットで作り方を独学。ニッポンにはまだ一度も行ったことはありませんが、独学で研究した肉じゃが作りを見せてもらうことに。

にんじんは、ニッポンの伝統的な切り方「乱切り」で、回転させながら不規則に切ります。じゃがいもは、オーストラリアでは一般的な甘みのある赤い芋。「ニッポンではどんな芋を使うのか知りたいです」とエリカさん。

この疑問に答えるべくスタッフが向かったのは、創業87年の老舗日本料理店「日本橋ゆかり」。簡単で美味しい和食を広めるため、国内外で活動する三代目の野永喜三夫さんに、肉じゃがの作り方を教えていただきます。

野永さんが使うじゃがいもはメークイン。でんぷんが少なく粘り気があり、煮崩れしにくいため、形を残したいカレーや炒め物などに適しています。
具材を切る際のポイントは、全て同じ大きさに揃えること。煮込んだ時に火の通りが均等になり、味が染み込みやすくなるそう。


一方、エリカさんはインターネットで取り寄せた白滝を水洗いし、食べやすい長さにカット。食材の下ごしらえが終わったところで、圧力鍋にかけます。圧力鍋を使うことで、通常30分ほどかかる煮込み時間を半分に短縮できるのです。

圧力鍋に油をひいて具材を炒めますが、エリカさんが使う肉は牛ひき肉。日本では一般的に薄いバラ肉などを使いますが、オーストラリアのスーパーでは、肉は塊で売っており、自分で薄く切るのは難しいそう。


続いて、出汁に醤油などの調味料を加えてタレ作り。食材と一緒にタレを入れ、蓋をして圧力鍋にかけます。実は、鍋で煮込んで作った時に具材の食感が今一つだったそう。「上手な鍋での煮込み方も学びたい」と話します。

野永さんの煮込み方はというと、火はつけずに鍋の中でタレを作り、全ての具材を入れてから火をつけています。具材を炒めず煮込むのがポイント。油を加えなくても、豚肉から美味しい脂が出てくるそう。

そして、食材を入れた状態から中火でゆっくりと煮込みます。真ん中に穴を開けたキッチンペーパーを、落とし蓋の代わりにするのもポイント。鍋の中で汁が回流するため、具材に味が均等に染み込み、混ぜる必要もなく煮崩れしにくくなるそう。さらに、キッチンペーパーが豚肉から出るアクを吸着するので、アク取りをしなくてもよいのです。

中火で20分ほど煮詰め、具材に火が通ったか確認できたら、ここで最後のポイント。一度火を止め、常温で2〜3時間冷ますことで、より一層具材に味が染み込んで美味しくなります。「冷める時に味が入っていくので、冷ますのがポイント」と野永さん。しっかり冷まして仕上げた肉じゃがは、食材にきっちり味が染み込み、煮崩れもしていません。

そしてこちらがエリカさんの肉じゃが! 最後にサヤインゲンを入れて軽く煮込めば完成です。


独学で作った肉じゃがは柔らかく、エリカさんのお母さんや彼氏のマークさんにも好評です。しかしエリカさんは、全体的に柔らかすぎると感じています。以前食べた肉じゃがは、素材の食感がもっとハッキリしていたそう。

「ニッポンで正しい肉じゃがの作り方を学びたい。そしてマークにもっと美味しい肉じゃがを食べさせたいです。ニッポンに行きたい!」。1日も早くご招待できることを願っています!

続いて紹介するのは、アメリカに住む、「石灯籠」を愛してやまないクリスさん。


ニッポンのお寺や庭園でよく見かける石灯籠。もともとは飛鳥時代、神仏に火を奉納する道具として伝来したもので、火を灯す部分はお堂の形を模しているそう。
その後、大名や商人が権威を示そうと、職人の技を凝らしたさまざまな形の石灯籠が誕生。日本独自に進化を遂げ、今では約300もの種類があります。

IT業界で働いていたクリスさんは、自然と関わる仕事がしたいと、園芸用品の店を開店。研究のために訪れたシカゴにある日本庭園で、石灯籠の美しさに感動し、自ら作るまでに。週に5日、郊外の作業場で石灯籠を作っています。


ニッポンには、まだ一度も行ったことがないクリスさん。石灯籠は石を削って作るものですが、本やインターネットで得た知識だけでは難しく、断念。1年以上試行錯誤した末に考えついたのが、「石を作る」方法でした。園芸用の土に火山岩やセメントなどを混ぜて型に敷き詰め、数日間寝かせます。固まったら型から外し、表面をヤスリで削って磨くと、石から削ったような質感に。

しかし、この作り方に満足はしていないようで、「本物の石から石灯籠を作るのが夢なんです」と語ります。今の方法では、20年間も形を保てないとか。雨風にさらされても朽ちることがなく、味わいを増すニッポンの石灯籠に憧れています。
そんなクリスさんを、ニッポンにご招待! 3年前、念願の初来日を果たしました。

向かったのは、奈良県にある春日大社。境内には900年近く前から寄進されてきた石灯籠が並び、その数は参道だけで約2000基! 今回は春日大社国宝殿の学芸員・秋田真吾さんに案内していただきます。秋田さんによると、江戸時代まではこれらの灯籠に毎晩火が灯されていたそう。今でも、毎年お盆と節分には、全ての灯籠に火を灯す「万燈籠」が行われます。


石灯籠には、時代や地域によっていくつかの形式が。中でも全国の6割ほどに用いられているのが、春日大社のシンボルともいえる鹿の姿が彫刻された春日灯籠。その見本となった600年前の灯籠を目の前にし、「実物を見られる日が来るなんて」と感動するクリスさん。

続いて、京都の「白沙村荘」へ。平安時代からの名品と呼ばれる石灯籠の数々を、作庭家の重森千靑さんが案内してくださることに。

石灯籠は、千利休が茶室の庭に取り入れたことで美術品としても大きく発展しました。時を経て欠けた跡が見られても、お茶の文化によって「これも美しいじゃないということになって、また活躍の場を持てるというのはすごい話だと思いますね」と重森さん。日本庭園は、池で大海を、苔で野山を表現した大自然の縮図。古く苔むした石灯籠は自然の一部となり、趣を添える大きな役割を果たしています。

この日、クリスさんは日本でも有数の石灯籠の生産地、愛知県岡崎市へ。安土桃山時代、岡崎城の城下を整備するため、大阪から優秀な石職人が集められ、石材業が発展。今も石灯籠などを作る彫刻や石材のお店が、約100軒立ち並んでいます。

お世話になるのは、この道54年の石職人・上野房男さん。伝統的工芸品にも指定された「岡崎石工品」の技を受け継ぐ伝統工芸士です。娘の梓さんは、全国初の女性の石職人。お二人に、本物の石から灯籠を作る技術を教えていただきます。

上野さんに連れられ、まずは灯籠の材料、石を採掘する山へ向かいます。石を採掘する現場を見るのは初めて。60年かけて山を切り開いた石切り場は、職人歴38年の中根浩二さんが仕切っています。こちらの石は7500万年ほど前にできたものと聞き、「そんなに古いんですね!」とびっくり。

日本三大石都に数えられる石の名産地である岡崎の山は、約7500万年前にマグマがゆっくりと固まってできた花崗岩で形成されています。特に岡崎でとれる「岡崎御影」は粒子が小さく均質なことから、石灯籠などの細かい細工に適しており、30センチ四方の塊で20万円以上するものも。

まずは、岩盤を火薬で爆破。大きな石の塊を切り出したら、矢と呼ばれる杭を差し込んで割っていきます。花崗岩には、マグマが冷えて固まる際にできた、石の目と呼ばれる目に見えない細かな割れ目が。その目に沿って矢を打ち込まないときれいに割れず、何万円分もの石が、一瞬にして石クズになってしまいます。中根さんは、長年の経験と勘で石の目を読み、注文通りのサイズに割っているのです。

いよいよ工房に戻り、石灯籠作りを学ばせていただくことに。使うのは、飛鳥時代から変わらないという石工道具。この道具がずっと欲しかったクリスさんは、インターネットで見ているうちに、小型の槌「石頭」や、石を削る「コヤスケ」などの名称を覚えたそう。

石灯籠は、主に6~7つのパーツを組み立てて作ります。その全てを手作業で彫り上げていくため、1基の灯籠を作るのに1カ月ほどかかることも。今回作るのは、笠の部分。その曲線は石灯籠全体の印象を左右する、最も重要な部分です。


まずは、石の表面に手作業でノミ跡を刻み、石本来の風合いを引き出す作業。ほとんど目に触れない笠の裏面から始めます。上野さんによると、石を切ったままでは風合いが出ないそうで、ノミ仕上げの方が自然になじむとか。さらに、表面の凹凸に水分がたまることで苔が生えやすくなり、自然と調和する石灯籠になるのです。

このノミ仕上げを、全ての面に施します。1基仕上げるのに、ノミを打つ回数はなんと5万回以上。遠くから見てもわかるよう、深く凹凸を刻むのがノミ仕上げのポイントです。

クリスさんも挑戦しますが、細かく傷をつけただけのように見えます。上野さんから「ノミの先に力を入れる」とアドバイスをいただき、その後も打ち続けること1時間。最初と比べると、しっかり力の入ったノミ跡に。「リズムが全然違ってきた」とお褒めの言葉もいただきました。2時間かけ、ようやく笠の裏面が完成!

その夜は、近所に住む娘さん家族も集まり、工房の軒先でクリスさんの歓迎会が開かれました。上野さんの奥さんが半日がかりで準備してくださった、三河湾でとれた鯛のアラ煮、三河牛の牛タンなど、地元の味を堪能。皆さんと楽しいひと時を過ごしました。

翌日、いよいよ笠の表側に取りかかります。まずはコヤスケとノミを使い、大まかな輪郭をとる作業から。目に見えない石の目を、割れ具合で見定めながら削っていきます。削りすぎてしまうと、ここまでの作業が台無しです。

一つの面を荒削りしたら次の面に移り、4面の輪郭を揃えていきます。曲線を生み出すのは職人の感性。そのため、測ることはしないそう。クリスさんも挑戦すると、「もうちょっと力を強く与えないと」と上野さん。ノミ跡をつける作業と違い、石頭を高い位置から打ち下ろさないとうまく削れません。


手を打ってしまうのが怖く、強く打てないクリスさん。梓さんから、石頭が跳ね返ってくる力を利用して打つことを教わります。体が覚えると、よそを向いても当たるようになるとか。ただ力を加えるのではなく、道具と一体になって石を削る。これが職人技なのです。

さらに、もう一つ技が。大事なのはノミを持つ左手。一打ごとに握る強さと角度をコントロールすることで、必要のない部分だけを削るそう。「こんなに繊細な作業をされているなんて思いもしませんでした」とクリスさん。

こうして一つ目の面が完成! 全てフリーハンドで削られたとは思えない、見事な曲線です。いよいよクリスさんが仕上げの工程を担当。何度も手を打ちながらも、上野さんが彫った曲線と慎重に照らし合わせ、ノミを打ち続けること3時間。上野さんから合格点をいただきました。

翌朝、見せたいものがあると上野さんが案内してくださったのは「石の野外ミュージアム 恩賜苑」。石灯籠の文化を後世に残すため、岡崎の石職人が作った全国43種類の石灯籠を展示しています。

その中には、23年前、上野さんが制作した柚ノ木形石灯籠も。完成までに2週間かかった思い出深いものだそう。「死んで灯籠を遺す」と語る上野さん。その言葉の通り、上野さんの名前が記されたこの石灯籠は、この先何百年もこの世に残るのです。


工場に戻ると、クリスさんが帰る前に完成を見せたいと、梓さんが残りの面を仕上げていました。3人で3日かけて削り出した灯籠の笠を、同じ型の灯籠に乗せてみます。すると、上野さんと梓さんが削った面は、測ったかのようにピッタリでしたが、クリスさんが削った面には少し膨らみが。それでも上野さんは「初めてでこれだけやれるってことは、生まれ持った感性がある」と褒めてくださいました。

「大変な思いをして作っているので、職人の心も込められると思う」と梓さん。クリスさんも、「自分で経験してみてそう感じました」「この笠には1人ではなく3人の魂がこもっていますね」と語ります。

そして別れの時。クリスさんは手紙を読み上げ、おもてなしと、辛抱強く教えていただいたことに感謝します。「お二人に学んだ技術はもちろん、灯籠に魂を注ぎ込む姿勢は私の今後の道しるべです。ニッポンの家族の皆さん、ありがとうございました」。クリスさんとハグを交わした上野さんの目には、思わず涙が……。


最後に、上野さんから石工道具一式のプレゼントが! 「ニッポンの文化を大事にしてください」。

あれから3年。上野さんの元を訪ねると、クリスさんと作った笠は、一緒に建てた場所に残してありました。月日が経ち、風合いが出てきた笠を見る度に、クリスさんを思い出しているそう。

一方のクリスさんは、帰国後にお子さんが誕生。フルタイムで働く奥さんの代わりに主夫業に専念し、石灯籠作りはお休みしていましたが、今年5月に再開。今年中には本物の石から灯籠を作ることを目標にしています。

クリスさんをニッポンにご招待したら、本物の石灯籠作りを知り、新たな目標に向けて動き出していました!

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憧れの職人から甲冑作りの手ほどきを受け、進化を遂げたポーランド男性


続いて紹介するのは、ポーランドに住む、「甲冑」をこよなく愛するチェスワフさん。


甲冑とは、頭を守る兜と胴体を守る鎧からなる古来の防具。古墳時代には既に存在していたとされ、平安から鎌倉にかけて武士の時代が始まると、馬に乗って弓矢を用いる戦い方に合わせ、重厚な「大鎧」に変化。その後、鉄製の甲冑が西洋から伝来し、これを真似た「南蛮胴」が広まりました。その後、日本各地の武将たちが装飾に工夫を凝らすように。

チェスワフさんが甲冑と出会ったのは、30年ほど前。本で兜の写真を見て、美しい装飾に目を奪われたのです。しかし本物を買うお金などなく、独学で甲冑を作り始めます。
46歳で警察を退官すると、ますます甲冑作りにのめり込むように。本当に敵と戦っても大丈夫か、考えながら作るのがこだわりだとか。

甲冑好きが高じ、独自の作り方をまとめた本も出版。多くの人に甲冑の魅力を伝えたいと、動画も制作しています。しかし、ニッポンにはまだ一度も行ったことがありません。
警察官だった頃は長期の休暇がなかなか取れず、結婚して子どもも生まれ、ニッポン行きは諦めたそう。その代わり、退職後は工房を作り、キッチンやバス、トイレも設置。甲冑を作っている時間が「今の私の生き甲斐なんです」と語ります。

そんなチェスワフさんを、ニッポンにご招待! 7年前に初来日しました。

向かったのは、チェスワフさんが一番好きな武将、真田幸村ゆかりの地・長野県上田市。「真田氏歴史館」には、実際に使われた本物の甲冑が展示されています。
約400年前、大坂冬の陣で幸村が纏ったといわれる「南蛮銅総革威」は貴重なもので、現在の価格で推定1000万にもなるのだとか。


写真でしか甲冑を見たことがなかったチェスワフさんは、初めて見る本物の甲冑に大興奮。しかし、ガラス越しでは裏側が見えません。すると、真田幸村の末裔、真田徹さんのご厚意で、特別に甲冑を触らせていただけることに。
憧れの幸村が身につけた甲冑を、細部まで目に焼きつけます。その後も真田さんと甲冑談義に花を咲かせ、いい思い出ができました。

この日、向かったのは、福島県相馬市にある「たちばな甲冑工房」。チェスワフさんが尊敬してやまない甲冑師・橘斌さんの工房です。
橘さんは、祖父の代から続く甲冑師の三代目。甲冑作りには彫金や漆塗り、染色などさまざまな技術が必要ですが、橘さんはその全てをたった一人で行う、数少ない甲冑職人なのです。

憧れの橘さんと対面し、「信じられない」と感動。早速、兜の鉢となる部分に使われるパーツについて質問を。後ろと前、どちらから組み立てるのが正しいのか聞くと、日本の研究では後ろからと前からの2通りあり、きれいに見えればどちらでも構わないとのこと。

質問は尽きず、2階にある作業場へ。そこには数えきれないほどの道具が! 橘さんは昔ながらの素材を可能な限り集め、伝統的な技法にこだわって作るので、一つ仕上げるのに3~5年はかかります。そのため、お値段は高いもので数千万円にもなるそう。


ここで、チェスワフさんが作った甲冑を見ていただくことに。脛当てが足の甲にぶつかるのが気になっていたそうで、橘さんによると、寸法が少し長いとのこと。橘さんの脛当てを見せていただくと、体にフィットするように反っていることがわかりました。


時間の許す限り、甲冑作りの手ほどきを受けたチェスワフさん。「憧れの人の近くで学べるなんて、夢を見ているようです」と大感激。ポーランドでは本物の材料が手に入らないため、似たような素材で作っても良いか質問すると、自分で工夫して、現代アートとして作っていいのではとアドバイスをいただきました。

あれから7年。チェスワフさんのビデオレターを、橘さんの元へ届けます。

チェスワフさんの工房は、7年前は6畳ほどでしたが、現在は約3倍の広さに! ここで週6日甲冑を作っています。今作っているのは、自らデザインしたオリジナルの甲冑。ポーランド人のコレクターから依頼されたもので、お値段は約63万円だそう。

3年前には、ワルシャワで上演されたオペラ「蝶々夫人」でチェスワフさんの甲冑が使われました。さらに翌年、展覧会も開催。母国ポーランドで、ニッポンの甲冑作りの第一人者として活躍するまでに。「僕も負けないで頑張るぞ!」と橘さんも奮起します。

そんなチェスワフさんには大切にしている宝物が。来日した際に橘さんが描いてくださった、紐の結び方のメモです。帰国後は、この直筆のメモを見ながら、必死に甲冑作りに励んできたそう。


「自分の甲冑に自信を持てるようになりました。巨匠(橘さん)ありがとうございました」。橘さんは「ますますの活躍を期待しております。チャンスがありましたらニッポンにお出かけください」と激励しました。

チェスワフさんをニッポンにご招待したら、自らの甲冑作りに自信を持ち、ニッポンで学んだ技術を、さらに進化させていました!

見逃し配信は「ネットもテレ東」で!


月曜夜8時からは、ゲストに佐藤勝利(Sexy Zone)、森泉を迎えて、月曜プレミア8「世界!ニッポン行きたい人応援団」“ご招待で人生変わっちゃった!”を放送!

「“組紐”の伝統的な技術を学びたい!」
もともと手芸が趣味だったフランスのクレールさん。彼女が愛するのが…大ヒット映画「君の名は。」で物語の鍵として使われブームになった、1600年の歴史を持つ“組紐”。生産量日本一、三重県伊賀市で組紐を作るための様々な台や実際に組紐を作る上での職人技を学び感涙! あれから5年…クレールさんの組紐が驚きの進化! 自身の仕事のスキルを活かし、とんでもないものができちゃった!

「“合気道”の稽古を受けたい!」
番組第1回の放送でご招待!イタリアで3段の腕前のアレッサンドロさん。尊敬する合気道の開祖、植芝盛平さんが晩年生活しながら修行していた茨城県岩間へ。そこで植芝盛平の直弟子である先生方に稽古をつけていただく。さらに東京の本部道場では、現在の道主で憧れの植芝守央先生の稽古に特別に参加! あれから6年…ご招待により“技”だけでなく“精神”も学んだ彼は新たな道を見つけ…。

どうぞお楽しみに!

 
   

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