リッター1,000馬力のFW11でついに初タイトル!
翌1986年は1,000馬力を超えるターボエンジンのパワーにウンザリしたF1運営サイドが燃料使用量の制限を厳しくしますが、燃費とパワーの両立ならお手のものなホンダは改良型エンジンのRA166Eでリッター1,000馬力、つまり最高出力1,500馬力に達します。
あくまで予選アタック用モードで実戦では抑えられていたと言いますが、名手ネルソン・ピケの新加入でピケ/マンセル体制となったウィリアムズは新マシンFW11を投入。
開幕戦ブラジルGPでピケが優勝したのをはじめ、ピケ4勝、マンセル5勝で9勝をあげ、ホンダにとっては第1期以来の悲願だったコンストラクターズ・タイトルを、ウィリアムズにもたらしました。
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勝利の陰で…迫っていたウィリアムズとの破局
ただし、その裏でウィリアムのチーム内ではチームと同じイギリス人のマンセルを支持する一派と、ホンダが勝利のために呼んできたピケを支持する一派に分かれる派閥争いが勃発しており、かなり険悪な状態でした。
最終戦オーストラリアGPでピケが2位に終わり、アラン・プロストに逆転でドライバーズ・タイトルをさらわれたのは、直接的には「グッドイヤーからタイヤ交換しなければ安全性を保証しない」と通告されたピケがピットインを強いられた…とされています。
これがホンダとウィリアムズの確執を呼び、翌1987年も同じドライバー体制、改良型のFW11Bでコンストラクターズタイトル連覇、ピケのドライバーズ・タイトルとダブルタイトル獲得が決まった日本GPの時点で、ウィリアムズとはその年限りと決まっていました。
ホンダは既に1987年からロータスにもエンジンを供給していましたが、翌1988年からはウィリアムズに代わってマクラーレンへの供給を発表しており、ここから第2期ホンダF1の黄金時代が始まります。
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