ダメなエンジンをなだめつつ、奇跡のような初勝利

FW10Bから改善されたリアサスペンションや空力関係はFW11で完成の域に達し、ウィリアムズとホンダに1986年のコンストラクターズ・タイトルをもたらした

ウィリアムズ・ホンダの本格始動(フルシーズン参戦)となった1984年は引き続きFW09で参戦、開幕戦ブラジルGPでケケ・ロズベルグが2位表彰台と幸先良いスタートを切り、第9戦アメリカGPではついに第2期ホンダF1での「初勝利」を達成します!

もっともこの年、ダラス市街地コースで開催されたアメリカGPは猛暑に襲われており、気温38℃以上、路面温度65℃以上という「タイヤが溶けるどころか、舗装が剥がれる」という、ニキ・ラウダやアラン・プロストなどは開催中止を提案するほどのコンディション。

しかし涼しい顔をしてレースをするべきと言ったのはロズベルグで、それも当然、彼はヘルメットに特製の冷却システムを組み込んでおり、文字通り「涼しい顔」で冷静なレース運びをした結果、マシントラブルや熱中症に苦しむサバイバルレースを制したのです。

しかし猛暑と言えば当時のホンダエンジンは改良型のRA164Eに至っても異常燃焼と過熱、ピストン溶解に苦しめられており、いくらロズベルグが涼しい顔でも、ダラスで最後までRA164Eが持ちこたえたのは、やはり奇跡だったのでしょうか。

その後もRA164Eは「熱で壊れる→直して出力アップ→さらに熱で壊れる」の繰り返しで、熱問題をどうにかしようと燃料を多く吹いて冷却すれば燃料不足で完走できず、アメリカGP以降はヨーロッパの高速コース点線でロクな結果を残していません(※)。

(※最高位は第13戦オランダGPでロズベルグが8位、それ以外はほとんどリタイア)

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エンジン開発体制を改め、RA165Eを積むFW10でついに3連勝

1986年にFW11でタイトル獲得後、1987年のFW11Bは全面再設計に近い改良が行われ、フロントウィングの形状などもホンダミュージアム展示車のFW11とは大きく異なり、ドライバー背後のロールバーも低い

1985年型マシンのFW10でもRA164Eの悪癖は改善されず、ついにホンダもF2用RA260Eを原型とするビッグボア×超ショートストロークエンジンをあきらめ、出力と燃費のバランスを取ったスモールボア×ロングストローク化に着手するなど、全面的に設計しなおします。

こうして完成した新エンジン、「RA165E」は今までがウソのように好調で、初投入となった1985年第5戦カナダGPではロズベルグ4位、新加入のナイジェル・マンセルが6位と好成績で完走、第6戦アメリカGPではロズベルグが第2期ホンダF1の2勝目をもたらします。

しかしエンジンが落ち着くと今度は保守的すぎるFW10の設計が問題になり、シーズン途中でサスペンションや空力などリアセクションを大幅に改良した「FW10B」が登場。

第14戦ヨーロッパGPから最終戦オーストラリアGPまでマンセル2勝、ロズベルグ1勝の3連勝で、いよいよウィリアムズ・ホンダは上昇気流に乗ったのであります!