埼京線と東北新幹線 ずーっと”デッドヒート”のワケ 悲願の通勤路線と「新幹線ノロノロ運転」の歴史

JR埼京線は赤羽以北で、東北・上越新幹線とずっと並走していますが、在来線よりはるかに速いスピードで走るはずの新幹線と“デッドヒート”になることも。新幹線がスピードを落としているためですが、なぜなのでしょうか。

東北新幹線と縁が深いJR埼京線

 埼玉県南部の通勤需要を担うJR埼京線。赤羽~大宮では、東北・上越新幹線が最初から最後までずっと並走していますが、埼京線の列車と新幹線の列車が“デッドヒート”になることもあります。新幹線は都内から大宮まで、ずっとノロノロ運転のためです。これは一体なぜなのでしょうか。

 実は、もともと埼京線があったところに新幹線が並行して作られたのではなく、「埼京線と東北新幹線が一体的に作られた」という歴史があります。

 1970年代から首都圏の通勤電車はパンク状態になっており、赤羽~大宮でも線路を増やして混雑緩和を図るべく検討が進められてきました。

 折しも東北新幹線の建設計画が進められており、最初は地下トンネルで埼玉県内を一気に抜けていくはずだったのが、荒川周辺の地盤の悪さから断念し、高架化に計画変更。地元が騒音問題を理由に反対運動を始めていました。そこで先述の線増を兼ねて、地元の利便性向上という「補償」の糸口として国が提示したのが、埼京線の建設だったのです。

 新幹線がノロノロ運転を行うのは、線路がクネクネとカーブを繰り返すためです。これには当時の複合的な要因があり、地形の問題から用地取得がうまくいかなかったこと、隣接住宅地と騒音の問題を避けた結果などとされています。

 当初の地下トンネル計画がスムーズに進めば騒音問題が大きくなることもありませんでしたが、それによって戸田市や旧与野市に通勤路線が敷かれずに終わったかもしれません。ともあれ、大宮~盛岡間に遅れること約3年、東北新幹線は1985年3月に上野まで開業を果たし、半年後に埼京線も開業。明治時代からあった赤羽~池袋の「赤羽線」を吸収して都心乗り入れを開始しました。

 東北新幹線の大宮以南は長らく「最高速度110km/h」でしたが、2020年に騒音対策工事が完了し、130km/hに引き上げられています。開業から35年目の初スピードアップでした。