“TX級”高速新線があちこちに? 国鉄が何度も挑戦した「開発線」構想とは 「通勤新幹線」のなれの果て

何も上手くいかない国鉄の計画、今度は…

 ところが高度成長が終わりを迎え、大規模開発の時代は終わりを迎えます。未来の象徴だった新幹線も「騒音公害」として社会問題化し、各地で建設反対運動が巻き起こります。

 こうなると市街地や近郊地域での高速運転は不可能になり、多額のコストをかけて高速鉄道を建設する意義が薄れることから、開発線構想は新幹線による60~70km圏の開発から、「在来線による30~40km圏の開発」に変質していきます。

 1978(昭和53)年に国鉄東京第三工事局が発行した『東三工十年史』によれば、新たな開発線は従来の構想を下敷きに、次のように再編されました。

(A)高崎開発線(新宿~池袋~赤羽~大宮~籠原)

(B)常磐開発線(大崎~新宿~池袋~田端~野田~筑波学園~土浦)

(C)東海道・東北開発線(大船~港北ニュータウン~目黒~新宿~池袋~王子~岩槻~白岡)

(D)中央・総武開発線(三鷹~新宿~新橋~海浜ニュータウン)

 しかしこの頃には国鉄の経営が加速度的に悪化していき、身の丈にあわせたはずのこの計画すら、実現に至りませんでした。

 それでも開発線構想は細々と命脈を繋ぎます。

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妥協に妥協、ようやく「実現」を果たす通勤新線

 国鉄末期に発行された『東工90年のあゆみ』には、「開発線等将来計画図」として、次の6路線を記載しています。

(A)常磐新線(東京~南守谷~水戸)※一部つくばエクスプレスとして開業

(B)みなとみらい21線(東神奈川~根岸)※一部みなとみらい線として開業

(C)上毛開発線(宮原~伊勢崎)

(D)東北開発線(東川口~久喜)

(E)東海道開発線(新宿~渋谷~港北ニュータウン~茅ケ崎)

(F)中央開発線(東京~武蔵境)

(C)は1978年の「高崎開発線」を引き継ぎ、後の埼京線の原型となります。元々は宮原で高崎線に接続する予定でしたが、埼京線内に車庫用地を確保できなかった影響で、現在の「川越線直通」に変更されました。しかし上記のとおり、いずれは本命の高崎線に乗り入れ、その先は新線として伊勢崎まで建設する構想があったのだと思われます。

(D)は現在の埼玉高速鉄道にあたる路線です。赤羽岩淵以北は1985(昭和60)年の運輸政策審議会答申第7号で「浦和市東部」方面への延伸構想として浮上しており、これを国鉄が担うことで東北線の混雑緩和を図ろうとしたのでしょう。(E)についても、同答申の「神奈川東部方面線」(のちのJR・相鉄直通線)に関係した構想と思われます。

 そして今もJRの計画として生きているのが(F)で、2016(平成28)年の交通政策審議会答申第198号にも「京葉線の中央線方面延伸及び中央線の複々線化」として掲げられています。

 壮大な計画のほとんど全てが実現しないまま歴史の中に消えていきました。そのなかで「つくばエクスプレス」だけが唯一、通勤新幹線と開発線の精神を引き継いだ存在であると言えます。

 つくばエクスプレスは沿線の開発を加速させ、経営的にも成功。在来線としては最高レベルの最高速度130km/h運転は、かつて描いた夢そのものでした。もし法制度が数十年早く整い、各方面に開発線が建設されていたら、首都圏の地図は全く違っていたものになっていたでしょう。