2代ともヒットに恵まれなかった、日産のオデッセイ対抗馬

初代オデッセイに対抗しようとした志はよくわかる、初代プレサージュのエアロ仕様、パシフィーク(2001年のマイナーチェンジで「ハイウェイスター」となる)

1994年に発売されて大ヒットとなった初代オデッセイを追いかけた新型車、あるいは既存車種の商品力向上へと躍起になっていた1998年、日産が送り出した新型のスタイリッシュ系ロールーフミニバンがプレサージュでした。

ボディサイズや排気量など車格面ではオデッセイと真っ向勝負で、高級車から乗り換えても違和感のない高級感を目指したのも同様ですが、ルネッサをベースとした高床フロアや、日産の低迷期に開発された事もあってかチグハグな面が目立ち、シェアを奪うには至らず。

2003年にモデルチェンジした2代目はベースをティアナに切り替え正常進化を遂げるも、その頃にはオデッセイが思い切った超ロールーフ化によるスポーティ路線、スペース効率を重視するならFF低床ハイルーフ車がミニバンの主流となっていました。

2代続けてヒットには恵まれなかったプレサージュですが、内装やパッケージ面では見るべき点もあり、デビュー時期さえ良ければまた違った評価が得られたかもしれません。

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ルネッサベースが全ての運の尽き:初代U30系(1998年)

背が高いので頭上スペースも広々と思いきや、75mmも全高が低い初代オデッセイと同じ室内高しかなく、高すぎる床面が全てのネックだった初代プレサージュ

オデッセイ発売から4年、その間にトヨタは初代イプサムで急造ながらも取り回しやすい5ナンバーボディの恩恵でソコソコの成果を上げており、日産も同クラスでは2代目プレーリーのビッグマイナーチェンジ版、プレーリージョイがおおむね好評でした。

ただ、オデッセイの土俵と言える「スポーティ&ラグジュアリーな高級プレステージ路線」となると、1990年代半ばではまだ本格的な対抗馬が生まれておらず、初代エルグランド(1997年)で高級ミニバンのツボを理解した日産にも、まだ逆転のチャンスはあります。

そこで、プレーリージョイより大柄な3ナンバーボディに、ファミリー路線よりラグジュアリー路線を、あるいはオデッセイ対抗馬であることを印象付ける後席ヒンジドア(プレーリージョイはスライドドア)を採用。

エンジンも2.4L直4(後に2.5L化)、3.0LのV6、さらにオデッセイにはない強みとして2.5Lディーゼルターボもラインナップし、高級GTミニバン的なミニバン・クルーザー、「プレサージュ」として1998年6月に堂々の名乗りを上げました。

ただ、どうも企画・開発段階で焦って急造したような節があり、FF大排気量のベース車なら2代目セフィーロあたりでもよかった気もしますが、ホイールベースが100mm長いルネッサを選択してしまいます。

このルネッサ、そもそも床下バッテリー配置のEVが由来のため、無駄に高床構造で全高の割に室内高が低く、無駄に広いだけであまり意味のない後席のスーパーロングスライド機構だけが売りという、ワゴンともミニバンともカテゴライズしにくい2列シート車。

このルネッサをベースにした段階で初代プレサージュの運命は定まっており、卑屈な前席、無駄にスライド量だけ長い2列目、左右に跳ね上げて畳むとテールゲートへ干渉するため、背もたれがやたら低く子供用にしか使えない3列目と、かなりチグハグでした。

2列目ロングスライドシートをやめれば70mmほど低床化は可能で、前席も3列目も問題は解消されて乗降性も良好に…と改善の方向性は見えていたらしいのですが、そこまでいくとイチから新開発した方が早いものの、経営が火の車の日産では許されなかったのでしょう。

ディーゼルターボのYD25DDTi搭載車は経済性の面から好評だったものの、それ以外はオデッセイに対していいトコなしで終わった感があります。

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