「四国新幹線」予定地を自転車道に? 大鳴門橋の「鉄道のための空間」なぜ残っていたか

大鳴門橋の高速道路の下、「四国新幹線」が通るかもしれない空きスペースに、淡路島と四国を結ぶ自転車道が整備されるかもしれません。その可能性と課題を探ってみましょう。またこのスペースは新幹線がここを走るはずだったのが、なぜ今まで残っていたのでしょうか。

神戸~淡路島~徳島が輪行可能に?大鳴門橋の下に自転車道整備へ

 本州と四国を結ぶ「四国新幹線」計画は、1973(昭和48)年に国の「基本計画路線」と位置づけられ、各地で新幹線の導入スペースが確保されています。2022年現在、四国では実現へ向けた国への請願活動が行われ、自民党の議員連盟が「財源の議論」に踏み込むなどしているものの、それ以上の具体的な動きには至っていません。

 そうしたなか、淡路島の南端から四国側の徳島県鳴門市を結ぶ「大鳴門橋」の下にある“新幹線が走るかもしれないスペース“が、自転車道として活用される可能性が高まってきました。10月には、徳島県と兵庫県が連携し、2023年度にも事業へ着手する見通しであると報じられています。

 この橋は、瀬戸大橋と同様に「上階は車道、下階は新幹線」という構造で建設され、上階は片側3車線の高速道路(神戸淡路鳴門道)として1985(昭和60)年に開通しました。一方、鉄道については在来線としても検討されたものの、計画は凍結。いまも大半が空きスペースのまま残っている下階はもともと新幹線用だったこともあり、新たにアスファルトの自転車道を整備しても問題はないそうです。

 現在は全国的なサイクリングブームによって、「ビワイチ」(琵琶湖一周)、しまなみ海道などに多くの観光客が訪れていますが、その中で淡路島を一周する「アワイチ」ルートの人気も高まっています。兵庫県側では神戸~淡路島間で自転車を積載できる旅客船の新航路の社会実験を行うなど、自転車の移動手段の強化を模索するほか、大鳴門橋の自転車道についても、「アワイチ」を本州~四国間の自転車ルートとするため徳島県と共同で2018年から調査を進めてきました。

 大鳴門橋の新幹線スペースのうち徳島県側の一部区間は、2000(平成12)年に遊歩道「渦の道」として整備されています。橋の下の海峡は、潮流の高低差によって発生する豪快な渦潮で知られ、海上45mのガラス床からの渦潮観測は、ツアーの観光客や遠足の訪問先として人気を保ち続けています。

 遊歩道を歩いて目の前を見渡すと、その景色は瀬戸大橋と同じような「高速道路の下の鉄道橋」そのもの。違いといえば、目の前に線路と架線が見えないことくらいです。

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なぜ大鳴門橋に新幹線が通らなかったのか

 瀬戸内海を橋で結ぶ本四架橋構想は、もともと1955(昭和30)年に発生した連絡船「紫雲丸」沈没事故を契機に複数ルートで具体化、うち大鳴門橋は「神戸・鳴門ルート(本四淡路ルート)」上にあります。神戸市と淡路島を結ぶ「明石海峡大橋」が1998(平成11)年に完成すると、2つの橋を含む神戸淡路鳴門道として神戸~徳島間が結ばれました。

 しかし構想当初は、明石海峡大橋・大鳴門橋とも道路・鉄道が一体で整備される予定でした。神戸・鳴門ルートは関西~四国間の距離としては最短ということもあり、もともと鉄道建設はこちらのルートが優先で、いまのJR瀬戸大橋線は需要の予測の少なさもあって貨物線としての整備が検討されていたほどです。

 その後、大鳴門橋はいわゆる“オイルショック”による建設凍結を経て1976(昭和51)年に着工。しかし明石海峡大橋については建設そのものへの技術的な問題が多く、かつ鉄道建設となると、本州側の鉄道からのアプローチや、橋の部分の線路のたわみ対策など、課題が山積。結局、橋の着工は1988(昭和63)年までずれ込みました。

 一方で瀬戸大橋は技術的な課題も少なく工事も順調に進み、「鉄道は瀬戸大橋、神戸・鳴門ルートは後回し」という流れに。大鳴門橋も1979(昭和54)年には、道路単独橋としての建設継続が決定します。新幹線スペースは工費節約のため「単線荷載方式」(橋上を1編成しか通過できない方式)に変更の上で完成し、将来的な新幹線の建設再開を待ちつつ今日に至ります。

 新幹線が走るはずだったスペースは、その後もトロッコの運行などが模索されたものの、「渦の道」以外は現在でも空きスペースのまま。もし自転車道が完成すれば、約50年の時を経て、ようやく全面的に活用されることになります。