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「ランディ・バースが誰であるかを非常に意識」しながら…最強の安打製造機マートン【愛すべき助っ人たち】

週刊ベースボールONLINE

来日1年目の快挙



来日1年目から安打を量産したマートン

 阪神の歴史で最強の助っ人は誰か。打者に限れば、多くのファンが挙げる選手は、おそらく2人に絞られるだろう。昭和の昔を知る人にとっては、“猛虎フィーバー”の1985年にリーグ優勝、日本一の立役者となったランディ・バースが最有力か。一方、時代が平成となって「日本に来て、すぐにランディ・バースが誰かを非常に意識するようになりました」と語るのがマット・マートンだ。バースほどの破壊力はなかったものの、来日1年目の2010年から214安打をマーク。阪神にとどまらず、プロ野球の助っ人で最強の安打製造機といえるかもしれない。

 バースが活躍していた時代のプロ野球では、シーズン200安打は前人未到の領域だった。そこに初めて足を踏み入れたのは1994年のイチロー(オリックス)で、210安打。これは20世紀で200安打を超えた唯一の快挙だった。21世紀に入ってからは6人の選手が大台をクリアしているが、マートンが来日した2010年だけで3人。まさに大豊作といえるシーズンだった。

 パ・リーグの最多安打は206安打の西岡剛(ロッテ)だったが、これは3人のうちでは最も少ない数字だ。自己最多、歴代でも4位となる209安打を残しながらも、最多安打を逃したのが青木宣親(ヤクルト)。打率.349ながら首位打者こそ青木に譲ったものの、この青木をしのぐ安打を量産したのがマートンだった。

 来日の前に「自分には能力があると信じていた。でも3Aとメジャーを行ったり来たりで、チャンスを得られていないと感じていた」というマートンも、「1シーズンで214安打を記録するとは思ってもみませんでした」と語っている。いきなり来日1年目の助っ人がプロ野球新記録となる214安打を放ったことへのファンの驚愕は、マートン以上だったはずだ。これは現在も歴代2位の数字として残る。

 その後も安定して安打を量産し続けたマートンは、180安打を放った14年に打率.338で首位打者。翌15年まで6年間プレーして、通算1020安打を残している。これは阪神の助っ人では最多の数字。プロ野球の歴代助っ人では12位だが、わずか6年での数字というのは驚異といえよう。

写真=BBM
 
   

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