坂の多い別荘地に、その隠れ家はあった。僕は緊張して玄関のベルを鳴らした。母が、僕が来たことに気づいてくれれば、扉は開かれるはずだ。しかし、いくら待っても返事はなかった。僕は何度も何度もベルを押し続けた。
何時間、僕はそこにいたのだろう。日はとうに落ち、月がはっきり見えていた。
もう帰るしかないと、僕が足を踏み出したその時だ。母が暮らす隠れ家に、明かりが灯った。そう、母は男とその隠れ家にいたのだ。
お母さんはもう、僕のお母さんじゃない。お母さんは、僕やお父さんじゃなくて男を取った。お母さんは女だ。薄汚い女だ。でも僕の母親だ。どんなに嫌でも、僕の母親なんだ。母の病気、そしてやがて死ぬだろうということも、僕はわかっていた。
僕の父は医者だ。
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僕がまだ幼かった頃、朝帰りの父は、玄関先でよく母に塩をかけられていた。
「何? どうしたの」
「うん、今患者さんが亡くなってな」
肩を落とした父の大きな背中に、僕は、彼の背負っている責任の重さを感じ取った。
ああ、今、人が一人死んだのか。幼い僕には少しも実感がない。だけど、生きているものは、いつか皆必ず死んでいく、ということさ。これが我が家の日常であり、死は常に隣り合わせにあった。
死を目前にした母は、何を考えていたのだろう。その頃の僕には、もちろん想像できるはずもない。僕の周りは全て敵で、理解者などいない。僕はもう、一匹の獣になっていた。
僕が幼い頃から、なぜか母方の親戚は皆、父のことを嫌っていた。そして親戚たちは、信じられないことに、母とその浮気相手をかばったんだ。
離婚になるのか、このまま両親は別居のままなのか。
「あなたはどっちについてゆくの?」
何度も何度も、僕は親戚に聞かれた。その疑問になんと答えればいい? その時は上手く表現できなかったけれど、今なら言える。
It’snotfair.
僕の気持ちなんてまるで考えず、親戚たちは、あなたのお父さんは悪い人よ、お母さんについていきなさい、なんてしつこくつきまとった。
数ヶ月の逃避行の末、結局母は家に戻ってきた。
両親は疲れてボロボロで、格好悪かった。でも、もっと格好が悪かったのは僕だ。僕は何もかも嫌になっていた。学校も友達も大好きな野球も、全てどうでもよかった。高校生なのに学校にも行かず、街をぶらぶらさまよい歩き、ろくに家に帰らなくなった。
自分の病気をかえりみず男と逃げた母。苦しむ母と僕に背を向けるように、全て見て見ぬふりを続ける父。ただの野次馬となり、物事の本質をみない親戚。
全てが許せなかった。
僕は周りの人間に対して絶望した。
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