top_line

「エンタメウィーク」サービス終了のお知らせ

スマホがない1970年代、通勤電車でみんなが携帯していたもの/なぜ働いていると本が読めなくなるのか⑥

ダ・ヴィンチWeb

 つまり、高度経済成長期を経て、欧米と肩を並べる日本という存在を考えたとき、歴史や日本文化の伝統を持ち出しながら、日本人的振る舞いを肯定したくなる。だが一方でその裏には、不安があった。このまま昔と同じように、日本が坂の上を目指して、ただ坂道をのぼっていける時代はもう来ないのではないか、と。

 竜馬や、『坂の上の雲』の秋山兄弟のように、近代国家として日本が先進国に追いつこうとした時代の男たちのように──自分たちが生きられた時代はたしかにあった。それは60 年代へのノスタルジーだった。

 たしかに司馬が危惧したような「朝礼の訓示に安直に使える」教養の小ネタ集であったこともまた、司馬作品が読まれた理由のひとつではある。だが、一方で司馬作品には、香り立つような60年代高度経済成長期的「坂をのぼってゆく」感覚が閉じ込められている。

 政府も小世帯であり、ここに登場する陸海軍もうそのように小さい。その町工場のように小さい国家のなかで、部分々々の義務と権能をもたされたスタッフたちは世帯が小さいがために思うぞんぶんにはたらき、そのチームをつよくするというただひとつの目的にむかってすすみ、その目的をうたがうことすら知らなかった。この時代のあかるさは、こういう楽天主義からきているのであろう。
(中略)楽天家たちは、そのような時代人としての体質で、前をのみ見つめながらあるく。のぼってゆく坂の上の青い天にもし一朶の白い雲がかがやいているとすれば、それのみをみつめて坂をのぼってゆくであろう。
(『坂の上の雲』単行本第1巻の「あとがき」)

 会社外での自己啓発を求められたりせず、会社内ですべて仕事と人間関係を完結できていた、「小さい」会社だった時代。「その目的をうたがうことすら知らなかった」楽天家たちの時代。それはまさに、失われた高度経済成長期の物語そのものだった。

 だからこそ当時のサラリーマンは、『坂の上の雲』も『竜馬がゆく』も、あんなに長いのに、それでも通勤電車で読んでいられたのではないか。ノスタルジーこそが、最も疲れた人間を癒やすことを、彼らは知っていたからだ。

広告の後にも続きます

 懐かしさに陶酔する姿は、もしかすると傍から見たら滑稽かもしれない。しかし懐かしさだけが救える感覚があることを、もしかすると、司馬作品を読む通勤電車のサラリーマンは知っていたのではないか、とすら思う。

  • 1
  • 2
 
   

ランキング(読書)

ジャンル