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『ぼくらの七日間戦争』宗田理さんは子供たちに“挑む心”を伝え続けた 週刊誌記者として育んだ批判精神とその功績

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『ぼくらの七日間戦争』

■「技術的にうまくなっても、とんでもないようなお話がない」

 『ぼくらの七日間戦争』で知られる小説家の宗田理さんが亡くなった。95歳だった。児童文学の分野で長く広く読み継がれてきた作品を数多く手がけてきたが、どれも社会をみつめて問題点を指摘するような作品で、いつの時代も子供はもちろん大人も含めた読者を刺激し鼓舞し続けた。

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 2019年3月に開催された第7回角川つばさ文庫小説賞の贈賞式に、選考委員を務めている宗田理さんが登場した。すでに90歳になっていたが、しっかりと応募作を読んだ上で選考に臨み、受賞作を選び出したのだろう。「みなさん、技術的にはお話がうまくなって面白い小説を書くようになりました」と評価しつつ、「とんでもないようなお話がない」と言って、面白い小説に必要なワクワク感が足りてないことを指摘した。

 1985年に宗田さんが発表した『ぼくらの七日間戦争』はその意味で、とんでもないお話だった。中学生が結託して大人たちに対抗し、廃工場にたてこもって解放区を作ろうとする。当然大人たちは阻止しようとするが、中学生たちは知恵を出し合いさまざまな工夫をして大人たちを撃退し続ける。

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 管理教育だ受験だ偏差値だといった具合に、がんじがらめになっていた当時の子供たちに、何もかもぶっ壊して進む主人公たちの言動が刺さったのだろう。88年には早くも実写映画化されて宮沢りえが女優としてデビューし話題となった。小室哲哉が所属していたTM NETWORKの主題歌「SEVEN DAYS WAR」もヒットした。

 全共闘による学生運動は70年安保を経て落ち着きを見せつつ一部が先鋭化し、連合赤軍事件や連続企業爆破事件といったテロを起こして一般からの支持を失い、やがて誰も関心をもたなくなっていく。80年代に入って日本全体が豊かになり、いよいよバブル時代に突入しようとしていた時期に、学生運動がモチーフになっていた『ぼくらの七日間戦争』の設定を、どこかアナクロなものとしてとらえる向きもあった。

 そんな時代でも、子供たちは決して解放されていなかった。むしろどんどんと厳しくなる管理教育であり受験戦争に疲弊し、偏差値に縛られてもがき苦しむようになっていた。そうした時代に子供たちが自分の力で何かを変えようとすることを、真っ向から肯定してくれるお話はどれほどの力になっただろう。もしかしたら、すでに学校を出て社会人となり、こちらはこちらで仕事や家庭に縛られ、窮屈な思いをしている大人たちにとっても、溜飲の下がるお話だった。

 続編となる『ぼくらの天使ゲーム』が87年に出て、その後に40巻を超える人気シリーズとなる前に実写映画化されたのも、ただ子供に見て欲しいというだけでなく、広い層が見て今の時代にかけている反骨と自立の気風を、取り戻してほしいという思いがあったのかもしれない。そうした期待を引き受けるようにして、原作の方も新興宗教やマルチ商法やリゾート開発といった大人たちの社会で起こる理不尽な出来事を捉え、子供たちの知恵を工夫で突破していくストーリーを繰り出し、社会に対して強い刺激を加えていった。

 どうして宗田さんは、これほどまでに社会と切り結ぶ作品を送り出して続けて来たのだろう。2019年に『ぼくらの七日間戦争』が実写映画化から31年を経てアニメ映画化された際、宗田さんは公式サイトのインタビューに答えて、「僕は作家になる以前から、週刊誌の記者として巨悪へ挑む文章を書いてきました。子どもたちにとっての〝悪〟は、いつの時代も大人。そして、そんな子どもたちが大人たちに勝つために必要なのは、知恵とユーモア、勇気です」と話して、ジャーナリストとして育んだ批判精神があることを明かしている。

 同じジャーナリストとして社会と切り結んだ梶山季之や、企業小説の大家として知られる清水一行との交流もあった宗田さんは、児童文学の世界で脚光を浴びるようになっても、社会への関心を失わなかった。第7回角川つばさ文庫小説賞の贈賞式では、こども部門で特別賞となった作品を挙げて、「AIを取り入れて、今のいじめとかに対するものがありました。こういうのが新しい作家の像じゃないかと感じさせてくれました」と講評した。

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