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実はかなり高い教養があった紫式部の弟・藤原惟規。詠んだ和歌に見える彼の才能【光る君へ】

Japaaan

【意訳】人には言えない思いを抱えて苦しんでいる。岩代(いわしろ。福島県西部)国で行われている野焼きの煙に乗って、あなたへの思いが結ばれないものだろうか。

岩代(いわしろ)を「言わじ路(人には決して言わない恋の路)」とかけて、野焼きの煙にもどかしい思いを詠んでいます。

果たして一生涯、本当に言わなかったのか、相手は誰だったのかが気になりますね。

波間に翻弄される心……。

浮き沈み 波にやつるゝ 海人舟の
やすげもなきは わが身なりけり

※『藤原惟規集』(六)

【意訳】荒い波間に浮き沈みしている海人舟(あまぶね)のように、私の心身は一時も安らぐことがない。

これは比較的ストレートですね。荒波にもまれる小舟のような、心もとない思いを表現しています。

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果たして誰を思って詠んだのか、とても気になるところですね。

今に見ていろ。自分だって……。

山がくれ 咲かぬ桜は 思ふらむ
我だにをそき 春のひかりと

※『藤原惟規集』(十八)

【意訳】山奥でまだ咲かずにいる桜は、きっとこう思っているだろう。
「少し遅いかも知れないが、私だってやがて咲き誇り、光り輝く時がくるのだ」と。

いつも姉・紫式部と比べられて、凡庸なイメージで見られがちな惟規。

しかし先ほど紹介したとおり、彼は凡庸どころか父譲りの逸材でした。

まるで山奥深く埋もれながら、これから咲こうとしている桜のように、彼も光り輝こうとしていたのでしょう。

ホームシック早すぎ!?逢坂の関さえ越えていないのに……。

逢坂の 関うちこゆる ほどもなく
今朝は都の 人ぞこひしき

※『藤原惟規集』補遺(一)
※『後拾遺和歌集』別、四六六
※父とともに越後へ参る道中、源為善朝臣へ

【意訳】まだ逢坂の関を越えてもいないのに、今朝はもう京都の皆さんが恋しくてならないのです。

寛和の変(寛和2・964年)から十年の雌伏を乗り越え、晴れて越後守となった父・為時。

惟規は父と共に越後へと旅立ちますが、ちょっと京都を離れただけで、もうみんなが恋しくてなりません。

きっとパリピ気質だったのでしょうね。

「父上を大切にはしたいけど、みんなと離れ離れはやっぱり寂しい……」

そんなやるせなさが、ひしひしと伝わってきますね。

図らずも辞世に…力尽きた最期の一文字

都にも 恋ひしき人の 多かれば
なほこのたびは いかむとぞ思ふ

※『藤原惟規集』補遺(三)
※『後拾遺和歌集』恋三、七六四
※越後で重病を患い、斎院の中将(源為理女)へ

【意訳】都には会いたい人が多いので、今回は重病を乗り越え、生きて帰ろう(行こう)と思います。

さて、父や姉と共に越後へやってきた惟規。

早く京都に帰りたいなぁ……なんて思っている内に、重病を患ってしまいました。

「生きて、彼女に会いたい……ガクッ」

実は最期の一文字は書ききれず、力尽きて世を去ってしまいます。

最期の「ふ」は父・為時が書き足してあげたもの。だから当人に聞いたら、もしかすると
「自分を鼓舞するよう、いかむとぞとぞ思『へ』にしようと思っていたのに」
なんて言うかも知れませんね。

番外編・まさかのパクリ!?

ちぎりきな かた身にそでを しぼりつつ
すゑの松山 波こさじとは

※『藤原惟規集』(七)
※女性に贈った歌。清原元輔の作が、不注意から混入してしまったもの。

どっかで見たことがあるなと思ったら、「小倉百人一首」でも有名な清原元輔(きよはらの もとすけ。清少納言父)が詠んだ和歌ではありませんか。

これはどうやら『藤原惟規集』の編者が、間違って混入させてしまったもの。

もう、うっかりさんですね。

終わりに

以上、『藤原惟規集』より藤原惟規の和歌たちを紹介してきました。

他にも素敵な和歌がたくさんあるので、改めて紹介したいと思います!

※参考文献:

  • 南波浩 校註『紫式部集 附 大弐三位集 藤原惟規集』岩波文庫、2024年2月
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