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『プリシラ』 無邪気さの喪失、自分の中の少女が死ぬことを拒むプリシラ

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世代の異なる2人の“危機”が交錯する。ソフィア・コッポラはこのテーマを『ロスト・イン・トランスレーション』においても描いている。スカーレット・ヨハンソン演じるシャーロットが抱える大人になることへの不安とビル・マーレイ演じるボブの中年の危機。恋愛関係には至らないシャーロットとボブ。かつてソフィア・コッポラは、2人の関係について、「未来がないかもしれないということが魅力になっている」と語っている。

出会ったばかりのプリシラとエルヴィスの関係にはほとんど未来がないように見える。そしてプリシラは慎重だ。エルヴィスの知り合いだと名乗る軍人からパーティーへの誘いを受けるときのプリシラは、突然のことに戸惑いながらも一呼吸の間を置いて返答する。両親の許可が必要だと。このときのプリシラの反応が素晴らしい。

パーティーに出向いてからもエルヴィスに子供扱いされるプリシラ。エルヴィスや彼の取り巻き、そして両親に子供として扱われる悔しさが、プリシラの気持ちに火を点けていく感覚は理解できる。大人たちのパーティーで完全に置いてきぼりをくらうプリシラ。パブリックイメージの“エルヴィス・プレスリー”を演じるエルヴィス。ご機嫌なエルヴィスはピアノの弾き語りを披露する。大人たちのパーティーの片隅で憧れと不安が入り混じった、背伸びをしきれないプリシラの姿をカメラは捉える。

西ドイツでプリシラはパブリックイメージの“エルヴィス・プレスリー”を演じていない本当のエルヴィスの姿を発見することになる。エルヴィスを演じるジェイコブ・エロルディは、カリスマ性やセクシーさを持ち合わせながら、プリシラの前では弱々しさや不安定さを隠さない人物を見事に演じている。本作に描かれているエルヴィスは、オーディエンスから見えるエルヴィスではなく、あくまでプリシラという少女の視点から見えるエルヴィスだ。エルヴィスは部屋にいるほとんどのシーンで文字通り影を纏っている。この影はエルヴィスという複雑な人間の影であるだけでなく、プリシラの不安や恐怖を表わしているといえる。

ムードボード

同世代の映画作家であるウェス・アンダーソンが1枚のスチール写真から映画のイメージを膨らませていくように、様々なファッション写真に造詣が深いソフィア・コッポラは写真から映画のイメージを構築していく。ブルース・ウェーバーがマット・ディロンを撮った写真から『SOMEWHERE』(2010)が生まれたように、ソフィア・コッポラは静止している写真が動き始めること、写真を再現することに強いこだわりを持っている。絵コンテを描かないソフィア・コッポラにとっての参考資料だ。ソフィア・コッポラによる“ムードボード”。特にウィリアム・エグルストンの写真は、ソフィア・コッポラのフィルモグラフィー全体において多大なインスピレーション元となっている。キャリアにおいて初めて一から作るセット撮影に挑んだ『プリシラ』においては、グレイスランドを撮ったウィリアム・エグルストンの写真が参考にされたという。

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キラキラに輝いていた『マリー・アントワネット』のヴェルサイユ宮殿とは対照的に、『プリシラ』のグレイスランドの内装、オブジェには独特の哀愁、木の香りのようなものがある。しかしプリシラとエルヴィスが過ごす寝室の写真はなかったという。ソフィア・コッポラの映画を象徴するともいえる“寝室”のセットは想像で作られた。グレイスランドの落ち着いた色合いの寝室には影が多く、2人だけが隔離された洞窟のようにも見える。この寝室でプリシラとエルヴィスは性行為の変わりに、枕をぶつけ合ったり、ポラロイド写真を撮り合ったり、いつまでも無邪気にじゃれ合う。エルヴィスはプリシラが21歳になるまで性行為を拒否し続けたことが知られている。

オールウェイズ・ラヴ・ユー

プリシラとエルヴィスは西ドイツで最初に会ったときからの2年の間、一度も会っていない。また映画の撮影等でエルヴィスがグレイスランドを留守にする時間がある。その間プリシラは1人の時間を多く過ごしている。プリシラはエルヴィスの婚約者としてエルヴィスの好きなファッションやメイクを研究する。プリシラはエルヴィスの人形のように始まり、徐々に自分を“ステージング”していく。

14歳のときのプリシラから始まった10歳年上のエルヴィスとの関係について、それをグルーミングだと批判する声は多い。プリシラ自身は今日に至るまでエルヴィスによるグルーミングを否定している。ソフィア・コッポラはプリシラやエルヴィスの選択をジャッジしていない。しかしエルヴィス財団が『プリシラ』への楽曲の提供を拒否した一件が象徴的なように、本作のエルヴィス像は不安定で人を振り回す、闇の深い人物として描かれている。しかし同時に、エルヴィスはプリシラの両親を説得するような誠実さと明るさを持ち合わせている。一人の人間の中にもいろいろな顔がある。

両親としては、エルヴィスがうぬぼれたクソ野郎だったらどれほど安心できたことだろう。それは娘を渡さない充分な口実になるからだ。直接会いに来たエルヴィスの態度が誠実だったおかげで、両親はプリシラを止めることができなかった。娘に一生を後悔させてしまうようなことはしたくなかったのだ。両親の複雑な決断は原作でもプリシラ自身が述懐している。しかしエルヴィスの強迫観念とプリシラによる自分の発見により、2人の関係は終わりへ向かっていく。ここには痛切な無邪気さの喪失がある。

ソフィア・コッポラは自身もティーンの娘を持つ母親であることが、本作を撮る大きな手助けになったという。本作は原作の息遣いやプリシラの少女の視線をどこまでも尊重している。エルヴィスが結婚するまで性行為を拒否したのは、プリシラへの精神的な支配とも受け取れる。フィリップ・ル・スールの手掛けた本作の光と闇を生かした見事な撮影と同じように両義的なのだ。それでもプリシラは、エルヴィスがあの頃の自分のすべてだったと今日に至るまで思いを変えていない。ソフィア・コッポラはプリシラの特異な経験と愛にリスペクトを送り、本作を彼女へのラブレターのような映画に仕上げている。少なくとも私はあなたの経験したことを愛していると。

生前のエルヴィスがレコーディングを望んだドリー・パートンの「オールウェイズ・ラヴ・ユー」が響き渡る。この曲はプリシラのエルヴィスへの愛に捧げられているだけなく、プリシラが傷だらけで駆け抜けた少女時代そのものへ捧げられているのだろう。自分の中の少女が死んでしまうのを拒否することと、少女時代にさよならを告げることは決して矛盾することではないのだ。

文 / 宮代大嗣

作品情報 映画『プリシラ』

14歳のプリシラは、世界が憧れるスーパースターと出会い、恋に落ちる。彼の特別になるという夢のような現実。やがて彼女は両親の反対を押し切って、大邸宅で一緒に暮らし始める。魅惑的な別世界に足を踏み入れたプリシラにとって、彼の色に染まり、そばにいることが彼女のすべてだったが‥‥。

監督・脚本:ソフィア・コッポラ

出演:ケイリー・スピーニー、ジェイコブ・エロルディ

配給:ギャガ    

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公開中

公式サイト gaga.ne.jp/priscilla/

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