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『プリシラ』 無邪気さの喪失、自分の中の少女が死ぬことを拒むプリシラ

otocoto

『プリシラ』はソフィア・コッポラのフィルモグラフィーを総括する集大成的な傑作だ。出産のときでさえ、興奮するエルヴィス・プレスリーをよそにバスルームでマスカラを塗り、ヘアを整え、フル装備で備えたというプリシラ・プレスリー。エルヴィスの婚約者~妻としてパブリックイメージをコントロールしていく姿は、まさに自分の舞台の“ステージング”だ。

ソフィア・コッポラはプリシラの数奇な人生に自身とのパーソナルなつながりを発見している。ティーンの少女たちを描いてきたソフィア・コッポラ。ゆっくりと忍び寄ってくる人生の影、無邪気さの喪失、そして少女時代へのさよなら。陰影の深い撮影には、人生の浮き沈みを体験するような映画の味わいがある。それらすべてを秋の光のようなやわらかさで包み込む本作に、プリシラ・プレスリーは泣き崩れてしまったのではないかと推測する。

少女の視線

アイライナーを引き、つけまつげを付け、リップを塗る。フル装備のプリシラが毛足の長いピンク色のカーペットの上を歩く。まるでこれからレッドカーペットで繰り広げられるファッションショーへの準備を描いているかのような『プリシラ』のオープニングは、どこまでもソフィア・コッポラ的なイメージに溢れている。ヴェルイサイユ宮殿でファッションの世界に変えたマリー・アントワネットのように(『マリー・アントワネット』/2006)。しかし深いピンク色のカーペットを一歩一歩ゆっくりと踏み込んでいくプリシラ(ケイリー・スピーニー)の足どりには、どこか重さがある。プリシラ自身がラグジュアリーな絨毯の深みに沈み込んでいくような不自由さがある。エルヴィス・プレスリーが母親のために購入した聖地グレイスランド。無人の屋敷。ラグジュアリーな内装の裏側に不穏な空気が立ち込めている。

14歳のプリシラが登場するファーストショットは西ドイツのダイナーだ。ダイナーの片隅でストローが挿されたコーラの瓶を飲んでいるプリシラ。14歳のプリシラのあどけなく寂し気な背中は、言葉以上に多くのことを語っている。アメリカ空軍将校の義理の父親を持つプリシラは、家族と共に西ドイツに滞在していた。学校にほとんど友人もいなかったというプリシラ。ソフィア・コッポラは、孤独な少女の背中からこの物語を始める。プリシラの背中はその宣言、覚悟のようなショットだ。まだ何も知らないティーンエイジャーだったプリシラが見た世界。小柄なプリシラと高身長のエルヴィス。本作では2人の身長差が意図的に強調されている。背の高いエルヴィスをティーンエイジャーのプリシラが見上げる。そこにはカリスマへの憧れと共に大人の男性そのものへの不安や恐れがある。

『プリシラ』にはプリシラ・プレスリーによる原作「私のエルヴィス」とまったく変わらない“息遣い”がある。既に神話的だったアイコン、エルヴィス・プレスリーとの出会いによる胸が破裂しそうになるような高揚感。まるで時差ぼけがずっと続いているような世界(ソフィア・コッポラは日本を舞台にした『ロスト・イン・トランスレーション』/ 2003 で時差ぼけを漂う世界にいる若い女性をテーマにしている)。プリシラによる原作には、ティーンエイジャーのピンク色に火照った高揚感だけでなく、大人になったプリシラが少女時代には吞み込めなかった冷静な述懐、当時感じていた不安と恐怖、エルヴィス・プレスリーの心の代弁までもが、感情のジェットコースターのようにダイナミックに描かれている。この素晴らしい原作を読み、改めて本作を再見したとき、ソフィア・コッポラによる脚色の見事さ、原作の持つエッセンスを抽出していく手捌きに感嘆する。ソフィア・コッポラの作品の大ファンだというプリシラ・プレスリーがエグゼクティブ・プロデューサーやアドバイザーを担い、本作に全幅の信頼を寄せた理由がここにはある。

ソフィアとプリシラ

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『プリシラ』はソフィア・コッポラが追いかけてきたテーマと完全に一致する題材だ。父フランシス・フォード・コッポラのアドバイスを守り、題材とのパーソナルなつながりを持つことを何よりも重要視してきたソフィア・コッポラにとって、これほど自身の個人史とリンクする題材もなかなかないだろう。

ソフィア・コッポラは高名な映画作家である父親の横にいる妻エレノア・コッポラのことを度々インタビューで語っている。ソフィア・コッポラの映画作家としての出自、動機には母エレノア・コッポラとの強いつながりがある。70年代にコンセプチュアル・アートを創造していたエレノア・コッポラは、素晴らしい夫と美しい家庭を築くことだけでは、決して満足できなかったことを娘に語っていたという。またエレノア・コッポラは、ハリウッドの作り出す価値観に懐疑的で、むしろ軽蔑していたという。ソフィア・コッポラによるパンキッシュでフェミニズムな思考の源泉はここにあるといえる。『プリシラ』にはエルヴィス・プレスリーの妻という枠に収まることができなくなっていくプリシラの“変身”と成長が描かれている。

©The Apartment S.r.l All Rights Reserved 2023 © Melodie McDaniel.

ソフィア・コッポラのフィルモグラフィー中、『プリシラ』と最もつながりの深い作品は間違いなく『マリー・アントワネット』だろう。グレイスランドの門をくぐるプリシラとヴェルイサイユ宮殿に到着したマリー・アントワネットの姿は共鳴している。14歳から始まる物語という点においても一致している。ヴェルサイユ宮殿の噂話、グレイスランドの噂話。この2つの作品には様々な点で共通項がある。ソフィア・コッポラは『プリシラ』の寝室のシーンを撮りながら『マリー・アントワネット』のことを思い出したという。

囚われの少女となったマリー・アントワネットは、セルフプロデュースによる享楽的な“ステージング”をヴェルサイユ宮殿で繰り広げる。マリー・アントワネットほど無邪気な享楽性はないが、プリシラもまたどんどん変身していく。大人の衣装を着せられた子供のようだったプリシラが、いつの間にか衣装を着こなしていく。“プリシラ・プレスリー”というアイコンのパブリックイメージへの変身。マリー・アントワネットのヘアスタイルがウエディングケーキのようにどんどん大きくなっていったように、プリシラのヘアスタイルも大きくなっていく。マリー・アントワネットを演じたキルスティン・ダンストから大推薦を受けたというケイリー・スピーニーは、ソフィア・コッポラ映画のヒロインの系譜を見事に引き継いでいる。

2つの危機

プリシラとエルヴィスが出会ったのは、2人のそれぞれの人生における谷間ともいえる期間だった。プリシラは実の父親だと思っていた人物が継父であることを知る。海軍のパイロットだった父親は、プリシラが生後6か月の時に事故で亡くなっている。プリシラには残された写真に写るハンサムな父親への憧れがあった。プリシラは10歳年上のエルヴィスに父親のイメージを投影していたのかもしれない。またプリシラは自分の容姿が男子生徒たちの視線を浴びていることを自覚していたが、自分のセクシュアリティに対する恥じらいがあった。プリシラの述懐によると、成長期における身体の変化への不安を抱えていたという。

アメリカ陸軍への徴兵期間にあったエルヴィスもまた複雑な状況にあった。誰よりも愛していた母親を亡くしたばかりのエルヴィス。徴兵期間の内に、これまで築き上げた人気を失ってしまうのではないかという不安(プリシラによると、すべてを失ってしまうのではないかという不安は強迫観念のようにエルヴィスを苦しめたという)。マーロン・ブランドやジェームズ・ディーンのような映画俳優になりたいのになれていないというジレンマ。西ドイツの地でエルヴィスはプリシラに不安を吐露する。

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