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新日本プロレスVS全日本プロレス<仁義なき50年闘争史>「BI戦争終結!馬場と坂口が協調路線を発表」

アサ芸プラス

 1989年7月、アントニオ猪木が参議院議員になったことで、日本プロレス界は転換期を迎えた。

 72年3月に猪木が新日本プロレス、同年10月にジャイアント馬場が全日本プロレスを旗揚げしてからの日本プロレス界は、馬場と猪木のBI2大巨頭の対立によって動かされてきた。

 仁義なき選手引き抜き合戦の末に引き抜き防止協定が何度か結ばれたが、新日本が協定違反をして再び戦争状態に突入するというのがお決まりのパターンであり、休戦状態の時でも馬場の心の奥底には「猪木は信用できない」という感情が常にあった。

 しかし、猪木が参院選出馬に際して新日本の代表取締役社長の座を坂口征二に譲ったことで、新日本と全日本に雪解けムードが生まれた。馬場が坂口のことは信用していたからだ。

 馬場と坂口は日本プロレス時代に東京タワーズとしてインターナショナル・タッグ王者にもなったし、礼儀正しい温厚な坂口を馬場はかわいがった。

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「日本プロレスはお前に任せたから」と、全日本を旗揚げした馬場は、いずれ日プロは崩壊すると見越していて、その時には坂口を迎え入れるつもりでいた。

 坂口が猪木と握手して新日本に合流したのは想定外だったものの、その後、全日本と新日本に揉め事が起こった時に、馬場との窓口になったのは坂口だった。

 89年末にプロレス専門誌の週刊ゴングの全日本担当記者だった筆者は、馬場に坂口体制になった新日本との関係を聞いてみた。

「企業の裏の話まではできないなあ。まあ‥‥坂口もわりかし人を騙さん男だということは言えるよ」

 口の重い馬場だけに、この言葉だけで十分だった。

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