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デビュー当時のCHEMISTRYから見たレーベルの風景 オーディション番組で夢を掴んだ後、進んできた道【評伝:伝説のA&Rマン 吉田敬 第4回】

Real Sound

CHEMISTRY アーティスト写真

 今から十数年前、48歳という若さでこの世を去った“伝説のA&Rマン”吉田敬さん。吉田さんと長年様々なプロジェクトを共にしてきた黒岩利之氏が筆を執り、同氏の仕事ぶりを関係者への取材をもとに記録していく本連載。第4回となる今回は、吉田さんが率いたレーベル・デフスターレコーズに所属していたCHEMISTRYの堂珍嘉邦と川畑要への取材が実現した。オーディション番組『ASAYAN』からデビューし、数々のヒット曲を世に送り出してきた彼らにとって、当時のデフスターレコーズ、吉田さんの姿はどのように映っていたのだろうか。(編集部)

(関連:デフスターレコーズ座談会 レーベル関係者4氏が語り合う、忘れがたい日々【評伝:伝説のA&Rマン 吉田敬 第3回】

■CHEMISTRYから見たレーベルの風景

 デフスター座談会の原稿を書き上げた後、いよいよアーティスト本人に敬さんの話を聞いてみたくなった。座談会では、当時のレーベルの新しさ、若さ、勢いをある程度再現できたと思うが、それをまさに投影、象徴したアーティストがCHEMISTRYだったと思う。

 CHEMISTRYが誕生したテレビ番組『ASAYAN』は、テレビ東京と吉本興業と電通で制作された1990年代を代表するオーディション番組である。すでに、モーニング娘。を世に出した番組として人気は定着していたが、男性ボーカルオーディションが始まった当初は視聴者からの反応も乏しく、テコ入れが必要だった。当時番組担当だった電通の吉崎圭一氏は、ソニーミュージックの一志順夫氏に相談を持ちかける。そこで、二人で出した結論は「オーディションを盛り上げるにはプロデューサーの存在が必要不可欠。小室哲哉、つんく(現:つんく♂)に匹敵するプロデューサーが必要」だった。一志氏は、洋楽時代に親交があり、ラジオでパーソナリティーを務めるなど表に出る仕事もこなせるプロデューサーとして松尾潔に注目。松尾が手掛ける平井堅が見事男性R&Bシンガーとしてのブランディングを成功させた事例をあげながら、番組プロデューサーを説得した。

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 一志氏は各レーベルの会議に出席し、企画を熱心に説明した。しかしどこのレーベルも“ASAYAN=モーニング娘。”の印象が強烈だったので、“男版モーニング娘。”のような男性アイドルを手掛けるのではないかと解釈され、反応が薄かったという。その中で、唯一手を挙げるレーベルがあった。2000年7月に誕生したばかりの敬さん率いるデフスターレコーズだった。

「当時のことはあまり覚えていないかもしれないです。怒涛すぎて、何が何だか……っていう印象の方が強いですね」

 インタビュー前の雑談で川畑くんは僕にそうつぶやいた。

 中低音のふくよかさが特徴の川畑要と抜けのいい高音が魅力の堂珍嘉邦。声の特性が違う二人の歌声とハーモニーが結びつき、まさに化学反応(Chemistry)を起こす。彼らの衝撃的な登場は「楽器を持たないR&Bデュオ」という今までありそうでなかったジャンルを切り開いた。デビュー20周年を超えた今も、YouTubeチャンネル「THE FIRST TAKE」にて公開された一発撮りライブパフォーマンス映像は1000万回再生を記録(2023年6月時点)するなど、彼らの歌声は現在進行形で多くの人の心を震わせている。

 デビュー後、息つく暇もなくトップアーティストの仲間入りを果たした彼らにとって、最初の数年は一瞬の出来事として過ぎ去っていったことだろう。しかし今回、忙しい合間を縫って取材に協力してくれることになった。僕も二人そろって話をするのは本当に久しぶりだ。彼らは20年以上前のかすかな記憶を頼りに少しずつ当時のことを話してくれた。

「僕らが参加したのは大阪で行われた最初のオーディション(1999年8月)。それから半年以上番組から連絡が来なかったんですよね。僕は仕事を辞めてオーディションに参加していたので、再度建築現場の仕事に戻ってアルバイトをしながら、毎週日曜日の放送を観ていました。でも、オーディションのライバルたちはどんどん増えていくばかりで。いつ決まるんだろうと思いながら過ごしていましたね」(川畑)

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