top_line

気持ちいい!サクサク進む爽快パズルゲーム
「ガーデンテイルズ」はここからプレイ!

新日本プロレスVS全日本プロレス<仁義なき50年闘争史>「ブロディ獲得だけで終わらない新日本の反撃」

アサ芸プラス

 だが、馬場は頑として越中の退団を認めなかった。新日本は落としどころとして、アジア進出に向けて立ち上げたアジア・プロレス協会の岩田浩会長と全日本の松根光雄社長の会談を7月30日にセッティング。アジア・プロレスが越中の身柄を預かり、アジア・プロレスの所属として新日本のリングに上げるという形で決着をみた。越中は8月1日の新日本の両国国技館で晴れて参戦の挨拶。コブラと握手をした。

 新日本の引き抜きの手はブロディ、越中だけではなかった。全日本所属ながらアメリカを主戦場にするザ・グレート・カブキ、桜田一男(ケンドー・ナガサキ)、プリンス・トンガ(キング・ハク)にも及んだ。

 さらに新日本は全米侵攻でトップ選手を日本に送るのが難しくなったWWF(WWE)との業務提携はそう長く続かないと判断して、外国人選手の新たな供給ルート開拓にも力を注いでいた。

 フロリダを牛耳るヒロ・マツダ、デューク・ケオムカの紹介で「鉄の爪王国」と呼ばれるテキサス州ダラスを拠点にしたフリッツ・フォン・エリックのWCCWと8月15日に業務提携、ルイジアナなどの中南部地区を仕切るビル・ワットとも友好関係を結んだ。

 ケビンとケリーのエリック兄弟が10月シリーズに初参加し、10・4札幌の開幕戦では藤波辰巳(現・辰爾)&木村健吾(現・健悟)のWWFインター・タッグ王座に挑戦した。

広告の後にも続きます

 10月末日で新日本はWWFとの業務提携を終了。翌86年7月にはMSWAからスティーブ・ウイリアムスが初来日した。

 日本人の引き抜きは、カブキとトンガは全日本に留まったが、桜田は10月にランボー・サクラダとして新日本に登場。実は8月7日に坂口はロスのニューオータニで桜田、トンガと会っていたが、追うように馬場もロスに駆けつけた。そこで話し合われたのは‥‥。

小佐野景浩(おさの・かげひろ)元「週刊ゴング編集長」として数多くの団体・選手を取材・執筆。テレビなどコメンテーターとしても活躍。著書に「プロレス秘史」(徳間書店)がある。

  • 1
  • 2
 
   

ランキング(スポーツ)

ジャンル