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新日本プロレスVS全日本プロレス<仁義なき50年闘争史>「馬場復活!ハンセン戦で新日本との戦争に勝利」

アサ芸プラス

 1月23日に44歳となった馬場にとって、このハンセン戦は純粋にプロレスラーとしての大勝負だった。

 さらに前年12月21日に、馬場は全日本の社長のポストを日本テレビから出向してきた松根光雄に譲って会長になったが、年明け早々の週刊プロレスでの「馬場さんにはトップの座を退いてサイドに回ってもらうことも必要」という松根新社長の言葉が「引退勧告」というニュアンスで報道されたことへの反発もあった。

 果たして試合は、馬場が躍動感溢れる動きと闘志でハンセンを圧倒した。軽やかなフットワークを見せてカウンターの16文キックを見舞い、ジャイアント・チョップを連打する馬場にハンセンは戸惑いを見せた。

 なおも馬場は左腕殺しなどの緻密さと32文ロケット砲などのスケールの大きなファイトで圧倒。一方、ハンセンも受けに回ることのない、ひたすら前に出るセオリー無視の暴走ファイトで押し返した。これが不思議と噛み合うダイナミックな展開に超満員1万1500人の大観衆が熱狂。

 最後はジョー樋口レフェリーが2人の乱闘に巻き込まれて両者反則になってしまったが、限界説を吹っ飛ばしてハンセンと互角に渡り合った馬場に熱烈なコールが起こり、翌日のスポーツ紙には「馬場復活!」の見出しが躍った。

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 ハンセンはこの試合を振り返って「馬場は契約する時、私に“スタイルを変えないでくれ”と望んでいたから、彼も今までには経験していないような試合をやらなければならかったはずだ。年齢的な問題もあってコンディション的には少しきつい部分もあったと思うが、馬場は諦めない心の持ち主だったから、遠慮することなくハードな攻撃を仕掛けた。馬場は一切文句を言わずに私のファイトに付き合ってくれた。その結果、いい試合になったはずだ」と言う。

 この試合は82年度プロレス大賞の最高試合賞を獲得した。猪木vsブッチャーの観客動員数9000人に対して馬場vsハンセンは1万1500人。内容的にも興行的にも、全日本は引き抜き戦争に勝利したのである。

小佐野景浩(おさの・かげひろ)元「週刊ゴング編集長」として数多くの団体・選手を取材・執筆。テレビなどコメンテーターとしても活躍。著書に「プロレス秘史」(徳間書店)がある。

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