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ニッポンの土地「誰のものだったのか」大研究(1)「大化の改新」で土地が国有化〈原始~飛鳥時代〉

アサ芸Biz

 歴史家で高校の歴史教師だった河合敦氏は、「荘園制度は、実は受験生にとって最大の泣き所なのです。教える先生のほうもよくわからない人が少なくない」と明かす。

 そもそも、日本の土地は誰のものだったのだろう。1月に「荘園から読み解く中世という時代」(KAWADE夢新書)を上梓した歴史研究者の武光誠氏は言う。

「現代のように、登記して、ここは誰の土地かというのが確立するのは明治維新以降のことです。古代において大地は、先祖の霊が宿ったものであり、もともと神の持ち物だというのが日本人の土地に対する意識の原点にありました。神の土地は村人みんなのものなので、誰でも原野の土地を耕して自分のものとすることができたのです。米や野菜を得ることは、神からの恵み、祝福であり、氏神様や産土神様を祀り、感謝を捧げます。土地は所有するというよりも、神から貸し与えられる、いわば利用権のようなものだと考えられます。その利用権を示すために、クシ(串)という棒を立て、ナワ(縄)で囲って、ここは神の許しを得た私の占有地だということを宣言したりして神を祀るのです」

 河合氏は、「荘園は、奈良時代の墾田永年私財法により貴族や有力寺社が開墾した〝私有地〟のことです」と前置きして、荘園が誕生するまでの土地制度について、次のように説明する。

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「縄文晩期に稲作が日本に入ってくると、水田や灌漑施設、収穫物などを巡ってクニ同士が争い、敗れたクニは勝ったところに併合されました。最終的にそうした国々を平定し、日本を統一したのがヤマト政権です。ヤマト政権では、豪族と呼ばれた各地の有力者が、私有地『田荘』を所有し、部曲と呼ばれる農民たちに耕作させてきました。その仕組みが変わるきっかけになった年が645年です」

 朝廷で権勢を誇っていた蘇我蝦夷・入鹿父子を中大兄皇子(後の天智天皇)と中臣(藤原)鎌足らが滅ぼし、その後さまざまな改革が行われることに。645年の「大化の改新」である。

 目玉政策は、全ての人も土地も朝廷(天皇)のものであるとする「公地公民」制で、その土地を農民に給付するという「班田収授法」である。

「ただし、大化の改新の時には、公地公民の方針を示しただけだったようで、実際に実施されていくのは701年の大宝律令の制定を待たなくてはなりません」(河合氏)

 一方、「『土地と財産』で読み解く日本史」(PHP研究所)の著者で元国税調査官の大村大次郎氏は、大化の改新後の大和朝廷は日本史上、土地の私有を認めなかった唯一の政権であるとする。

大化の改新は、土地を国有化することで、各豪族に分散していた国の財を中央に集めることが目的でした。それまで豪族が支配していた農地を取り上げ国のものにし、その土地を農民に貸し与えたという意味で、古代における〝農地解放〟と言ってもいい思い切った改革だった」

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