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堂安律 母から受け継いだ慈善精神!児童養護施設、コロナ対策に次々と寄付

女性自身

 

若くして“地元で困っている人の力になりたい”と行動を起こす堂安選手。その気持ちは母から受け継いだものだという。

 

「彼のお母さんは地元で介護施設を運営していたんです。律はそんなお母さんが大好きで、とても尊敬しています。お母さんの話を始めたら止まらないくらいで、マザコンかなって思うほど(笑)」(前出・友人)

 

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母は介護の仕事をしながら、父が経営する会社も手伝い、さらに堂安選手が小学生のころには、西宮のサッカークラブまで車で送迎し続けた。片道1時間かけて毎日往復し、息子の夢を支えた。

 

「お母さんの苦労のかいあって、堂安選手は高校在籍時にガンバ大阪に入団。その後、念願かなって’17年にオランダ・FCフローニンゲンへの移籍が決まったのですが、出発するときにお母さんが号泣していたそうです」(前出・スポーツ紙記者)

 

そんな堂安一家を取材するため、本誌は堂安の故郷・尼崎に向かった。両親はカタール滞在中だったが、祖母が取材に応じてくれた。話は苦手だという祖母といっしょに、周囲にいた友人や元職員たちが話を聞かせてくれた。

 

「お母さんはとても明るい方でね。裏表がなくて曲がったことが大嫌い。一緒に仕事していても信頼できる方でした」(元職員)

 

母は仕事の傍ら、堂安選手のサッカーの相手もしていたというが、めきめき上達していく息子についていけたのは小学校低学年まで。「もう律の蹴るボールは速すぎて追いつかれへん」と笑っていたそうだ。

 

化粧っ気も飾り気もなく働き、子育てした母に、堂安選手は心底感謝しているという。

 

「律ちゃんは海外に移籍して初めての給料で、お母さんにプレゼントをしています。腕時計とリュックです。時計はかなりの高級品ですよ(笑)。ふだんはオシャレしないのに『これ、律に買うてもろたんや』ってうれしそうに使っていました」(祖母の友人)

 

いまも堂安選手が海外から戻ってきたときには、家族そろって食事や旅行に行くという。

 

「笑いが途切れない一家ですよ。お正月は家族全員がおばあちゃんの家に集まりお祝いするのが恒例。昔はおばあちゃんが子供たちにお年玉をあげていましたが、いまは逆。律ちゃんがおばあちゃんに10万円のお年玉をあげています」(前出・祖母の友人)

 

“尼崎のタイガーマスク”は、家族への贈り物でも奮発していた。

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