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中尾孝義がトレードで巨人へ。山倉和博はラストイヤーに「球宴は胴上げしながら運んでもらった」【プロ野球はみだし録】

週刊ベースボールONLINE

トレードの2人がカムバック賞に



1987年にはMVPに輝いた山倉

 V9時代にはアマチュアから次々に有力な捕手を獲得した巨人。彼ら“刺客”におびやかされながらも、司令塔の座を譲らなかったのが森昌彦だった。時は流れ、1980年代の司令塔となった山倉和博も、森ほどではないものの、ポジション争いとは無縁ではなかった。ライバルは、トレードで移籍してきた“刺客”たちだ。

 山倉が初めて出場100試合を超えたのは80年で、最後が87年。投手陣から圧倒的な信頼を集めながらも、打撃では“意外性の男”の異名もあった山倉だったが、この87年は打撃も好調で、22本塁打など打撃3部門でキャリアハイとなり、MVPにも輝いた。だが、翌88年からは故障に苦しむように。そのオフ、中日から中尾孝義が移籍してくる。82年にセ・リーグの捕手として初めてMVPとなった中尾だが、星野仙一監督の就任で外野に回り、それでも捕手へのこだわりを捨てきれずにいた。トレードを告げられて涙を流した中尾だったが、巨人への移籍で、ふたたび捕手として活躍することになる。

 ただ、中尾の移籍は交換トレード。中日で長く司令塔を担い、外野に回っても打撃に期待されている中尾の獲得のためには、実績のある選手を交換で出す必要があった。白羽の矢が立ったのは2人の投手で、西本聖と加茂川重治。中でも西本は、87年いっぱいで現役を引退した江川卓のエースの座を争い、その87年に中日へ来た落合博満と名勝負を繰り広げるなど歴戦の右腕だ。巨人のフロントには「西本は闘志むきだしで巨人に対してくるはず。中日に出していいのか」という声もあったというが、「ライバルチーム同士でも、こういったトレードが球界の活性化につながる」という藤田元司監督の意向で、西本は中日へ移籍した。

 コーチとの確執や江川の引退で闘志を失いかけていた西本は、これで完全に復活。巨人戦5勝を含む20勝で初の最多勝に輝いて、89年のカムバック賞を贈られたのは西本と中尾の2人だった。一方、山倉は出場機会が激減。それでもラストイヤーはファン投票1位で球宴に出場、「胴上げしながら運んでもらったようなもの。一生、忘れません」と振り返っている。

文=犬企画マンホール 写真=BBM
 
   

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