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仲間由紀恵が全うした“語り部”としての役割 優子の物語が『ちむどんどん』に深みを与える

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『ちむどんどん』写真提供=NHK

 暢子(黒島結菜)からの熱烈な説得を受け、沖縄にようやくやってきた房子(原田美枝子)。しかし、彼女の旅の目的は暢子というより優子(仲間由紀恵)にあった。NHK連続テレビ小説『ちむどんどん』第122話では、房子が優子に引き合わせるために連れてきた大里親子が比嘉家を訪れた。

 大里五郎(草刈正雄)は沖縄出身で、戦後に東京へ移住していた。40年ぶりの沖縄に、島の言葉も忘れたという彼だったが、その娘・大里悦子(草刈麻有)が優子の前に出したものは沖縄のかんざし、ジーファーだった。それを受け取り、見つめる優子はそれが沖縄戦で離れ離れになった姉・時恵のものであることに気づく。五郎は、40年前の沖縄戦の最中で時恵の最後を看取った人物だったのだ。

 彼が焼け残った小屋に逃げ込んだ時、そこには時恵が隠れていた。しかし、もう彼女の両親は機銃掃射によって亡くなっており、彼女自身も撃たれていたという。長くは生きられない彼女は、そんな自分よりもと五郎に握り飯を与えて食べさせた。

 時恵のことは、第15週「ウークイの夜」でも触れられていた。当時、戦渦の中で山を彷徨っているうちに両親、姉と離れ離れになってしまった優子。彼女と弟の秀夫はアメリカ兵に捕まり、捕虜となって終戦を迎えていた。その後、収容所を転々とする中で、飢えが二人を襲い、弟は死んでしまった。

「自分の分も弟にあげればよかった。死なずに済んだかもしれない。もっと遊んだり、働いたり、恋をしたり、泣いたり、笑ったりしたかったはず。うちだけこんなして食べていいのか。生きていていいのか……」

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 弟の死後、食欲も生きる気力もなくした優子だったが、そんな彼女の無念が五郎のものに重なる。五郎は亡くなる前に時恵が喉の渇きを訴え、水を欲しがっていたにもかかわらず「水はない」と嘘をついてあげることはなかった。自分たちの明日からのことを考えての行動だったものの、彼はその後悔を40年間抱えて生きてきた。

 「ごめんなさい……本当に、申し訳ありませんでした……」と、話しながら顔をぐしゃぐしゃにして泣く五郎。震える声色に口元、草刈正雄の泣きの演技も凄まじい一方で、それを受けての仲間の演技も素晴らしい。五郎が時恵から託けられたこと、もし優子に会えたら伝えてほしかったことが、ようやく時を経て彼女のもとへ届く。

「見捨てたんじゃない。必死に探していたけど、見つからなかった」

 優子だって、見捨てたわけじゃない。生死もわからない両親と姉の骨を、ずっとこれまでも探し続けていた優子。必死に探しているけど、まだ何も、見つけることができずにいた。そんな彼女が受け取ったのは、姉が両親にねだって買ってもらった宝物のジーファー。「最後を看取ってくださり、ありがとうございます」と、頭を下げる優子。

「生きているのか、死んでしまったのか、ずっとわからなかった。だけど、ようやく……本当に、ありがとうございます」

 ごめんなさい、帰ってきてくれて、ありがとう。そう泣きながらジーファーに想いを乗せて訴える仲間は、『ちむどんどん』において描かれるべき沖縄戦の傷跡や、沖縄人の想いを体現する“語り部”としての役割を最大限に全うしたと言える。

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