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実写版『ピノキオ』の出来をアニメーション版と比較考察 近年のディズニーの方針を踏襲?

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 最も分かりやすいのは、オリジナルキャラクター、ファビアナ(キアン・ラマヤ)が登場して、ピノキオを助けるところだ。明言はされないが、彼女はバレリーナになることを夢見るも、脚のけがによって道を絶たれ、人形劇団で踊り子の人形を操作することで第二の夢を追いかけているようだ。人形への愛情が深く、自立した存在になろうとするファビアナの存在と、彼女の未来の展望は、アニメ版における人形劇団の顛末を爽やかなものにしている。

 “良心”をテーマにしていることで、アニメ版はピノキオが世の中の誘惑にさらされる局面が多かった。そのため、作品を観る子どもは、世の中を怖いものと感じ、家の中から出ないことが無難だと思わせてしまうところがあったと感じる。そこで、社会の側にも良心があるという描き方に変えているのは評価できる点なのではないか。

 一方で、ピノキオの悪童ぶりが抑えられているのは寂しいところだ。ディズニーのアニメ版は、カルロ・コッローディの原作の辛辣な部分を大幅に緩和して、ピノキオのキャラクターを、自分勝手な部分もありながら共感できるバランスに仕上げていたが、本作では良い子過ぎるほどに良い子に描かれ、誘惑する側が強引に押し切ることで道を誤らせる場面が多く、“良心”を問うテーマ性が希薄になってしまっている。

 だが、ルーク・エヴァンスが演じた、プレジャー・アイランドへと向かう馬車の御者が「ノリが悪いぜ、空気を読めよ」と歌っていたように、どちらかというと、ここは自主性がなく周りの雰囲気に流されてしまうタイプの子どもに、自分の信念を貫く強さを持つことを強調することにスライドしているという指摘もできる。

 また、本作で最も特徴的なのは、差別の要素が描かれている部分があることだ。アニメ版とは違い、ピノキオは誘惑を振り払って学校へ到着するが、学校は人間のためのものだと怒鳴られ、追い出されてしまうのだ。そのような描写に呼応するかたちで、トム・ハンクス演じるゼペットが、ラストシーンにおいて「そのままのお前がいい、変わってほしいところなど何一つない」と語っている。

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 つまり本作は、良心のテーマよりも、自分の生まれついての個性を観客が肯定できるようなメッセージを優先することを選んだということになる。そう考えれば、今回のピノキオが善良でより共感しやすい、“変わらなくていい”キャラクターとして描かれたのは納得できるところだ。

 このように、本作が差別や自己肯定の大事さを描いているにもかかわらず、それに反するような反響が、一部から挙がったのは残念なことだ。本作では、アニメ版で白人のような見た目で描かれたブルー・フェアリー(妖精)役に、英国出身のミュージカルスター、シンシア・エリヴォがキャスティングされ、美声を披露させている。しかし、彼女の人種がアフリカ系であることに、違和感を表明する人々が出てきたのだ。

 妖精は想像上のもので現実には存在していないため、どのような人種が演じようが構わないはずだ。それに対し、妖精がヨーロッパを中心に伝承されてきたという経緯から、白人が演じるべきだという声もある。

 だが、映画『マルコムX』(1992年)でも描かれたように、キリスト教の最重要人物であるイエス・キリストが、当時の歴史や地理を考えたときに現在のアラブ系に近い人種だとされている事実を考えてみてほしい。それにもかかわらず、キリストの姿はヨーロッパやアメリカで長い間、白人として描かれてきたのだ。アジアに住む日本人もまた、文化的な影響によって、そんな局地的なイメージを共有してしまっているところがある。こういった白人中心のさまざまなイメージを世界に広めてきたのが、過去のディズニーだったことも、また確かなことなのだ。

 しかし、新しい時代に生きる子どもたちは、そういった存在しない妖精や救世主、神の姿に、人種的イメージを当てはめる必要はないのではないか。とくに本作の製作国であるアメリカは、人口における白人の割合が減り続けていて、近年6割を切っている状況にあり、近い将来半数を割ることになるだろう。そういった社会に生きる人々はなおさら、もっと自由な世界観を持っていいはずだ。“木の人形そのままでいい”と語る本作『ピノキオ』は、そんな近年のディズニーが選び取った方針を踏襲しているのである。(小野寺系)

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