このとき、浙江省紹興出身の夫人が作ったのが、鶏や鴨など二十種類以上の食材を年代物の紹興酒の甕の中に入れて調理したスープ料理でした。周連はこの料理をいたく気に入り、お抱え料理人の鄭春発に作らせましたが、何度やっても上手くいきません。そこで周連は鄭春発を夫人のもとに送り、作り方を学ばせることにしたのです。
晴れて料理をマスターした鄭春発は、のちにお抱え料理人を辞し、福州のレストラン『三友斋』に移ります。さらにこの店の経営権を持った彼は、店名を『聚春園』に改め、あのスープに独自のアレンジを加えて「福寿全」という名前をつけて売り出すことに。
そんな折、文人の集まりに「福寿全」を出すと、1人が「こんなによい香りが漂ってきたら、お釈迦様だって戒を破り、垣根を跳び越えて食べに来ずはいられないよ」というではありませんか。すると、それを聞いたもう1人の文人が、こんな漢詩を詠み上げました。
坛启荤香飘四邻(罎啓葷香飄四鄰)
佛闻弃禅跳墙来(佛聞棄禪跳墻来)
(読み方)
tán qǐ hūn xiāng piāo sì lín
fó wén qì chán tiào qiáng lái
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(訳)
罎をあけるとなまぐさの香りあたりにただよい、仏は匂いをかいで禅を棄て、かきねを跳び越えてやって来る。
ここから鄭春発は、料理名を「福寿全」から「佛跳墻」に改めて、店の名物へと育て上げます。鄭春発は、料理人としての才能もあったのだと思いますが、経営手腕も相当なものですよね。以来、100年以上にわたりこの料理が受け継がれ、今では日本でも知られるようになるのですから。
『聚春園』の壁に描かれた佛跳牆制作の様子。どの乾物もハイクオリティ!高いけれど安く感じる『聚春園』の佛跳墻
そんな歴史ある『聚春園』は、福州市の東街口という賑やかな街の一角にあり、ホテルも併設された立派な店構えのレストランでした。
『聚春園』外観。20年以上も前から行きたいと思っていた店にようやく行けました。名物の佛跳墻は食材のランクによって2種類の価格があり、それぞれのランクで1名分ずつ壺に小分けされたものか、10名分が大きな壺に入ったものかが選べます。
僕たちが注文したのは上のランクで、事前予約が必要な1人前798元の佛跳墻。今のレートで1元20円くらいなので、約15,960円といったところ。なかなかの金額ですが、一緒にきた厨房チームに安いものを食べさせるわけにはいきません。
お酒は福建の地酒を3種類持ち込みました。左と中が「青紅(チンホン)」の年数違い、右が「閩江老酒(ミンジャンラオジュウ)」。地元の人に言わせると、福建人でこれ(閩江老酒)を飲む人はいないよ、料理酒だ」とのこと。そして佛跳墻といえばこのかたちの蓋がおなじみ。さっそく開けると…
中にぎっしりと高級乾物が詰まっていました。これはなかなかのボリュームです。スープだけで200ccくらいあるのではないでしょうか。
まずはふかひれを箸で引き出すと、アオザメのような太い金糸で、食べごたえがあるものがしっかりと入っています。ふかひれの品質はピンキリの中国ですが、これはかなりの上物です。
さらに器の中には、しっかりと棘のあるなまこ、干し鮑、鹿のアキレス腱、浮き袋、干し貝柱、干し椎茸など。いずれも大粒のものばかりで、鳩の卵なども入っています。
なまこはしっかり棘のあるタイプ。日本でいう北海なまこで、中国ではこのかたちが高級とされます。干し鮑は50~60頭(乾物600gあたりの個数)のものが1個ずつ。ちょうどいい戻り加減で、蓄えられたうまみはもちろん、むっちりとした食感が絶妙です。
干し鮑。 魚の浮袋。 鹿のアキレス腱。ぷるぷるのコラーゲンの塊。具は食べ進むうちに滋味深く、塩味はやわらか。そして入っている乾物のクオリティがどれもこれも高い…!スープ単体の値段は高額かもしれませんが、この品質の乾物を揃えてこの値段はむしろ安い。食べながらそう思えてきました。
こうなると、下のランクとどう違うのか、職業柄気になってくるものです。そこで予約なしでも食べられる498元(約9,960円)の佛跳墻も追加注文することに。違いは具の種類と乾物のランクの違いですね。ベースのスープには大きな違いはなく、これはこれでおいしかったです。
1杯498元(約9,960円)の佛跳墻。どちらにも共通していたのは、ともかく乾物が素晴らしいこと。1つ1つの戻り具合に「これはいいけどこれはイマイチ」というものがなく「全部いい」。佛跳墻は冷凍食品なども多く出回っており、粗悪品も多々ありますが、すべてがきちんとおいしいことに感動しました。
ちなみに佛跳墻を日本で食べる場合、琥珀色で透明感のあるスープがでてくることが多いようです。その理由は、最初から蒸して加熱するためだと思われます。一方『聚春園』では、まず直火で煮た後、小分けの壺に入れて蒸していました(大きい壺は紹興酒の甕に似た器に具を入れて、直火で煮ています)。
また、スープの色は深い茶色で、福建老酒がふんだんに使われていることがわかります。この酒が非常に大切で、酒、香辛料と、乾物の香りが渾然一体となった香りが、他にない味わいを醸し出していました。
『聚春園』店内のディスプレイ。伝統的な佛跳墙は何が使われている?『中国名菜譜』南方編に見る具の種類
中国を東西南北に分けて伝統料理を紹介している『中国名菜譜』の南方編には、佛跳墻が改名する前の「福寿全」の作り方が載っています。
レシピに記されている具は17種類あり、乾物はふかひれ、魚唇(ふかの縁側)、なまこ、貝柱、鮑、魚の浮き袋、どんこ、豚のアキレス腱。生の食材は火腿(ハム)、肥えたアヒル、肥えためんどり、鶏砂肝、羊のすね、豚胃袋、冬たけのこ、豚アキレス腱、大根、卵が入っています(スープをつくる食材はさらに別に用意します)。実際、店で出された壺の中に17種類はありませんでしたが、出す前に取り除かれるのもあるのかもしれませんね。
また、それぞれの乾物は戻して適切な下ごしらえをした後、炊いてから紹興酒の甕に入れてとろ火で煮ると書いてあります。さすがに甕を丸ごと蒸すことはできませんから、やはり元来は煮る料理だったのでしょう。
今も高級な宴席ではこの巨大な甕を使って作られるそうです。『聚春園』で他に注文した料理は、酢豚の一種である茘枝肉や、福建名産の紅麹をベースにした調味料・紅糟(ホンザオ)で炒めたつぶ貝の炒め、福建名物の光餅、焼き米粉など。現代的な料理では、生のつぶ貝に熱々の上湯(シャンタン)を注いでサッと火を通すスープもいただきました。
つぶ貝の炒め。 茘枝肉。 光餅。 生のつぶ貝に、保温した熱々のスープを急須から注ぎ、貝にサッと火を通すスープ料理。福建省は「十湯十変(シータンシービェン:shítāngshíbiàn)」、10のスープがあれば10の味がある」といわれる地域。佛跳墻の味を守り続けている『聚春園』を訪れたことで、その奥深さに少しでも触れることができたように思います。
なかでも佛跳墻は厨房メンバー満場一致のおいしさ!期待を裏切らない味わいで、無事憧れの店を後にしました。
語り・写真:山口祐介
聞き手:サトタカ(佐藤貴子)