《オードリーって、春日と若林のコンビだと思ってたけど、初めてのDVDでは、「オードリーwith若林」だったんだ。。。》
など、「じゃない方」としての哀愁を見事、笑いに転換して大絶賛となりました。
「じゃない方」が立派に認知されるようになった理由
2000年に「ナイスミドル」という芸名で活動をスタートさせたオードリー。
当時は、相方の春日俊彰さんがツッコミで、若林さんがボケを担当で、現在のスタイルとは反対でした。
ネタ番組全盛の時代にあっても、9年もの間テレビに出られず、単独ライブをできる会場もなく、春日さんの住居をライブ小屋として開放するなど、長い下積みを経験します。
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その後、春日さんが体力ものの企画に単独で出演し、知名度が上がり始めますが、駆け出しの頃は春日さんの強烈な見た目と印象が凄すぎて、コンビでは目立たない方を意味する「じゃない方芸人」と揶揄されがちだった若林さん。
極度の人見知りも手伝い、スタッフは扱いに困ることもあったそうですが、ラジオやMCの仕事を始めたことで一念発起。
人見知りを克服するためにガールズバーに通ったことを赤裸々にラジオで話すなどして、その本音やオードリーの地下深い闇の部分を覗いたリスナーからは共感の声が続出するようになります。
世間から、印象が薄い存在といういじられ方を若林さんが受け入れたことで、「じゃない方」から抜け出せたとインタビューでも話したことがあり、オードリーはどんどんと売れ始めます。
最初は陰が薄かったものの、徐々に存在感が出て、今ではコンビでもピンでも面白いという強みを持っているオードリー。
「じゃない方芸人」でイジられ、受け入れたことで今があるのですね。
(文:Quick Timez編集部)