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LiLiCo マドンナから学んだ“自分で自分の道を切り開く力”

女性自身

 

「母親を早くに亡くし、きょうだいの世話をしながら、スターになる夢を抱き続けていたマドンナは、17歳のとき、たったの35ドルを握りしめ、故郷を後にしました」

 

ニューヨークでタクシーに乗ったマドンナは、運転手に『すべてのど真ん中に降ろしてください』と告げ、タイムズスクエアに降り立った。

 

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「何も持たない状況でも“私にはできる”という強い思いで、夢に向かっていったんです」

 

 

■「デビュー当初は車で生活していました」

 

世界の文化を吸収し、芸能界への憧れを強くしたLiLiCoさんは、18歳のとき、祖母を頼りに日本へと旅立った。

 

「私にはおばあちゃんがいたし、所持金35ドルというわけでもありませんでしたが、日本語ができないまま、日本でアイドルを目指すなんて、やっぱり、勢いがなければできませんでした」

 

日本語は『笑っていいとも!』(’82〜’14年・フジテレビ系)を見て覚えた。ステージデビューは日本に来て1年後のこと。

 

「ビアガーデンでした。自分は舞台で歌っているのでスター気分でいましたが、お客さんはみんなビールを飲みたいだけだから、どこまで聴いてくれていたか(笑)」

 

だが、マドンナばりの、自分で自分の道を切り開く力、自己プロデュース力を発揮。

 

「『私、本当に売れるんで、応援をお願いします!』って、直接お客さんに売り込んで、ファンクラブの会員を500人くらい集めました。会員証には、マドンナの写真がプリントされた衣装姿の写真を。最後にラミネート加工をするんですが、空気が入って失敗したりしましたね(笑)」

 

その後、演歌歌手の元に弟子入り。

 

「漢字はレーザーディスクのカラオケの歌詞を見て勉強しました。だから今でも書き順はよくわからないんです」

 

さらにフリーのタレントとして、マネージャーと車で生活したりしながら、健康ランドやスナックで営業をした。

 

「でも、つらいなんて、あまり思わなかったです。むしろ“この経験は、きっとあとでネタになる”って前向きに考えていました。そんな強い気持ちでいられたのも、マドンナの生き方にあこがれていたから。生き方やファッション、センスなど、いまの私を作ったのは、間違いなく80’sです!」

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