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【画像】えっ、ギャップがすごい… これが表情の変化がよく分かるナウシカの表情です

「戦国魔城」というボツ企画は宝の山になった

 1984年3月11日、宮崎駿監督のアニメ映画『風の谷のナウシカ』が公開されました。今年で40周年を迎えます。これまで20回以上TV放送され、もはや内容の説明は不要といえる国民的人気を誇りますが、実は、この『風の谷のナウシカ』は、あるボツ企画がなければ生まれなかったかも!? という事実をご存じでしょうか。

 それは1981年のことです。徳間書店の社員だった鈴木敏夫さん(現・スタジオジブリ代表取締役議長)から映画企画が持ち上がりました。

 当時43才の宮崎監督は、映画のために描きためていた絵からイメージボードを提出し、「少年が主人公の日本が舞台の活劇を作りたい」などといった意向を伝えます。このとき、具体的なストーリーはありませんでした。鈴木さんはこれに「戦国魔城」タイトルを付けて会議にかけますが、企画は通らず「ボツ」になります。

 理由のひとつは「原作がないから」でした。TVも映画も、原作があったほうがヒットしやすいのは今も昔も変わりません。宮崎監督がその2年前に初監督した『ルパン三世 カリオストロの城』(79年)が、興行的に振るわなかった事情もあったでしょう。今と違って、実績がないのにイメージボードだけで企画を通すのは難しかったわけです。

 そこで宮崎監督は「じゃあ、原作を描いちゃいましょうか」と提案します。そして、「月刊アニメージュ」(徳間書店)の1982年2月号からスタートしたのが、マンガ『風の谷のナウシカ』です。

 ここでひとつ疑問なのは、最初に提出した「戦国魔城」と内容が違うことです。なぜ『風の谷のナウシカ』になったのでしょう。実は、イメージボードには別のスケッチもあり、そのなかに「風の谷のヤラ」というタイトルで女性の絵などもありました。雰囲気が大人っぽくて『ナウシカ』とは少しイメージが異なりますが、ここにヒントがあります。



絵についての宮崎監督のコメントがけっこう面白い『風の谷のナウシカ 宮崎駿水彩画集』(徳間書店)

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ボツ企画「ロルフ」が原案

 その頃、宮崎監督はリチャード・コーベン氏のアメリカのコミック『Rowlf』をベースにした、長編映画「ロルフ」を企画していました。しかし、映像化に原作者の了解を得られなかったため頓挫したのです。

 その『Rowlf』から「小国の運命を背負うお姫様」という着想を得て、オリジナル化したのが、マンガ『風の谷のナウシカ』です。宮崎さんは物語のイメージがかなり沸いていて、気に入っていたのではないでしょうか。これらのイメージボードは、『風の谷のナウシカ 宮崎駿水彩画集』(徳間書店)に掲載されています。

 また、これは推察ですが、1980年代前半のマンガ界は、特に『タッチ』『みゆき』『ときめきトゥナイト』『Theかぼちゃワイン』など、美少女が登場するラブコメが流行した時代でした。『風の谷のナウシカ』も、男の物語より美少女が主役のほうが、男性ウケしやすく勝算が高いと考えたのかもしれません。

 結果的に「ナウシカ」は男性ファンを獲得しましたが、これには宮崎監督の画力があったからこそ、といえるはずです。というのも、原稿は1日1枚しか描けないほどハイクオリティーな完成度だったからです。

 こんな裏話があります。鈴木敏夫さんの著書『仕事道楽』によると、はじめは、映画を創る目的で原作マンガを製作したはずですが、宮崎さんは「映画企画が前提にあって漫画を描くというのは、これはやっぱり漫画に対して失礼だ。そんなつもりでやったのでは漫画として失格で、誰も読んでくれないんじゃないか。漫画としてちゃんと描く」と話してきたとのことでした。結局、マンガ『風の谷のナウシカ』はアニメーションにならない世界を描くつもりで執筆し、実際に映画化が決まったとき宮崎さんは困惑したそうです。

 アニメ映画のほうが有名な『風の谷のナウシカ』ですが、マンガからのファンは「映画とは絵のクオリティーが全く違う」と、紙の方を推す人が多いそうです。映画とマンガは内容も違うので、ぜひ読んで欲しいところです。

 ボツになった「戦国魔城」のイメージボードには、未来の名作につながる画がたくさん描かれています。そう考えると、「オールスターが登場する映画『戦国魔城』が観たいな?」……と思ったりもします。