主人公・ひびき洸と、主役メカがパッケージに描かれた「勇者ライディーン コレクターズDVD Vol.1 」(TCエンタテインメント)

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当時はまだまだアニメファンが軽んじられていた?

 1963年の『鉄腕アトム』から、幼い子供のための番組というしつらえで始まった日本のTVアニメーション。しかしその後十年足らずの1972年には『マジンガーZ』、1974年には『宇宙戦艦ヤマト』と、アニメは実質的に「子供のための番組」という枠をはるかに越えたものになっていきました。

 同時に、共に育った子供たちもまた、ハイティーンに達すると、アニメーション番組は幼い子供のものだけにとどまらないとの想いを、ファンクラブ活動や同人誌活動などを通し、自らの手で発信するようになります。

 ちょうどそんな時期、1975年から放送されたのが、今も根強いファンを持つ『勇者ライディーン』(東北新社)というスーパーロボットアニメです。

 後に『機動戦士ガンダム』を世に送り出す日本サンライズ(当時は「創映社」と「サンライズスタジオ」)が実制作に当たった『勇者ライディーン』は、当時子供たちに大人気で、玩具も記録的な売れ行きを記録しました。また、後の『ガンダム』と同じ、富野由悠季監督と安彦良和さんのタッグによって作られた作品だけあって、実はすでに、当時のハイティーンに多くのファンを持っていた作品でした。

 そんな『ライディーン』が、本放送を終え、数ヶ月後に時間帯を変えての再放送をしていた時のことです。作品内でも特に人気の高かった「プリンスシャーキン」という、これまた、後にあの『ガンダム』の「シャア」にもつながる敵役が、主人公と決闘して潔い最期を遂げるという、第27話「シャーキン悪魔の闘い」が、関東圏ではなぜか放送されなかったのです。

 当時はネット配信はおろか、VTRなどの録画機器もまだ一般に普及しておらず、視聴者は、TVで放送されるその時間だけでしか番組を観ることが出来ませんから、楽しみに待っていた話数が放送されないというのは、とてもショックなことです。

 そこでファンの人たちは、放送局に「なぜ放送されなかったのか」という問い合わせの電話をかけました(SNSもメール無い時代です)。ところが、それに対する放送局の返答は驚くべきものでした。

「番組内容に問題があったから」「シャーキンの死に方がよくなかったから」「その話数に出演していた声優が殺人事件を起こしたから」

 そんな返答をされたというのです(※私個人は電話をしておりませんので、全て当事者から聞いた話です)。

 これが事実であれば大変なことです。しかし、ほんの数ヶ月前に問題なく放送され、なんと本放送の際には、人気が高かったという理由で再放送までしている話数です。もし「内容に問題があった」という話があれば、なんらかの形で制作側にも情報が入るはずですが、そんなことはまったくなく、この返答に納得出来るはずなどありません。ましてや「殺人事件」などは事実無根で、根も葉もないデマの対象にされた声優さんにとっては、それこそ名誉毀損ものです。

 この対応にファンは激怒。ファンの間で抗議の署名活動まで展開されることになったのです。

 また、ちょうど第27話から監督を引きついだ、故・長浜忠夫監督も、この話をファンから聞き、みずから力を入れて監督した話数でもあっただけに大いに憤慨、署名活動を応援されました。私自身も『ライディーン』が好きでサンライズに出入りするようになったファンのひとりでしたから、署名活動に賛同し、集めた署名を長浜監督に託しました。これに対し、監督もTV局に届けると言ってくださったのを覚えています。

 まさか「たかが子供用まんが番組」に、ハイティーン以上のファンがいるなどとは思っていななかったTV局の人が、適当に口から出任せで答えたのでしょうか。結局、なぜ第27話が飛ばされたのかの理由は未だに解りません(地方局では問題なく放送されたと聞きます)。

 アニメ業界での経験を経てみれば、たぶん、単なるミスだったのだろうとは推測しますし、それだけ当時のTVアニメーションは、TV局側から軽い扱いを受けていたということだったのかもしれません。

 1976年といえば、もはや半世紀近くも前の話です。しかし、この署名活動事件は、往年のファンにとっては、今では日本を代表する文化とまで言われるTVアニメーションが、当時まだまだ不遇であったことを思い知る哀しい記憶なのです。

 そして、こうした経験を経た当時のファンたちのさまざまな活動が、やがては、日本のアニメ文化の向上に大きな役割を果たしたともいえます。とはいえ、どんな時代背景であれ、あってはならない返答をしたTV局側には、やはり恥ずべきことだったと反省して戴きたいと願うばかりです。

 ちなみに、その後、『ライディーン』は数度再放送されていますが、第27話は通常通り放送されましたし、後に販売されている映像ソースにもきちんと収録されています。

【著者プロフィール】
風間洋(河原よしえ)
1975年よりアニメ制作会社サンライズ(現・バンダイナムコフィルムワークス)の『勇者ライディーン』(東北新社)制作スタジオに学生バイトで所属。卒業後、正規スタッフとして『無敵超人ザンボット3』等の設定助手、『最強ロボ ダイオージャ』『戦闘メカ ザブングル』『聖戦士ダンバイン』『巨神ゴーグ』等の文芸設定制作、『重戦機エルガイム』では「河原よしえ」名で脚本参加。『機甲戦記ドラグナー』『魔神英雄伝ワタル』『鎧伝 サムライトルーパー』等々の企画開発等に携わる。1989年より著述家として独立。同社作品のノベライズ、オリジナル小説、脚本、ムック関係やコラム等も手掛けている。