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俺の嫁さん~宝くじに当たったような人生だった~島田洋七『お笑い“がばい”交遊録』

週刊実話WEB

島田洋七 (C)週刊実話Web

この連載でいろんな著名人の方との思い出話を書いてきましたけど、一番はやはり嫁さんですね。

雑誌に一緒に出たことがあるから顔を見たことのある人もいるかもしれません。もうお互い74歳ですけど、俺が何をしようと一度も反対したことがないんです。

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嫁は佐賀で生まれ育ち、俺と東京に出るまで九州から出たことが一度もなかった。

ちょうど20歳のとき、仕事も住む場所も何も決まっていないのに、都会への憧れという一心だけで一緒に東京、そして大阪へ出たんです。今の時代なら考えられないことですね。

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大阪で初めて漫才を見た俺が、やすきよ(横山やすし・西川きよし)さんのような漫才師になると言い出したら、普通は反対するでしょ。それでも「やりい。やりい」ですよ。

次に大阪には面白い先輩が多いし、もっと売れたいから東京に進出すると決意したときも、「行こっ、行こっ」だって。

漫才ブームの頃は、家に帰っても夜遅いでしょ。子どもが幼くて夜泣きをするから眠れなかった。そこでニューオータニに泊まることにしても、「ホテルに住んだほうがええで」と快諾。結局、2~3年いましたよ。

「おとん、芸人じゃなくてもいいんやで」

漫才ブームが終わり、暇になると「今遊ばな。一番最初に売れたからしゃあないやん。次に売れた、たけしさんや紳助さんががんばってるから、休んでたらまたチャンスが回ってくる」。でも、飲み食いして遊んでも、1週間もすれば飽きますよ。

そうしたら「おとん、芸人じゃなくてもいいんやで。なんの仕事でもええやんか。働けば」。俺は芸人しかしたことないから他の仕事なんてできないのにね。

タレントや俳優さんは、売れなくなって離婚するケースが多いとよく聞きますけど、うちはそんなこと一切ない。「私も働く」と言ってましたよ。

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