気象遭難の実例から学ぶ、落雷と沢の増水|山岳気象予報士の猪熊さんが監修解説【山登り初心者の基礎知識】

山岳遭難は痛ましい出来事ですが、そのときの気象条件を検証することで、遭難を回避できる可能性が高まります。今回は雨によって引き起こされる落雷と沢の増水・鉄砲水、土砂崩れについて、国内唯一の山岳気象専門会社ヤマテンの代表取締役で気象予報士の猪熊隆之さんの監修で解説します。

パターンによって異なる気象遭難

増水した八ヶ岳・北沢(撮影:鷲尾 太輔)

登山者自身へのリスクと山への影響によるリスク

気象遭難は、大きく分けてふたつのリスクが原因となっています。ひとつは、気象が登山者自身にダメージをもたらす気象遭難です。雨で身体が濡れることによる低体温症や、熱中症、突風による転滑落、落雷による感電といった事例が挙げられます。

もうひとつは、気象が山に影響を与えて登山者にダメージをもたらす遭難です。沢の増水・鉄砲水による水難や、土砂崩れや落石に巻き込まれる事例が挙げられます。

今回は落雷と沢の増水・鉄砲水による水難の各事例について、実例や遭難防止のための対策を紹介していきます。

(広告の後にも続きます)

落雷による感電事故

発達中の積乱雲(撮影:鷲尾 太輔)

雲が“やる気を出す”と、雷のリスクがある

テレビなどで、お天気キャスターの「大気が不安定な状態」という言葉を聞いたことはありませんか。これは、上空に寒気が流れ込む状態を指します。地表の気温が高い夏では、この状態では上空との気温差が大きくなるのです。

上空に寒気があるときは、上昇気流が強くなるため、雲が”やる気”を出しやすくなります。そのような状態で雲が発生すると、入道雲に成長していき、やがて積乱雲と呼ばれる落雷や強雨(雪)をもたらす雲になっていきます。

積乱雲は目視するだけでも輪郭がはっきりとして天高く盛り上がっている、雲の中でもっとも”やる気のある”雲。そして、氷の粒が積乱雲の中でぶつかり合うことで静電気が発生し、これが蓄積されると、強い威力を持つ雷になるのです。

雷三日のことわざ

2019年8月6日の南アルプス(撮影:鷲尾 太輔)

このような「大気が不安定な状態」を引き起こすのは以下の条件のときです。

①上空高いところ(夏は5,000m以上、冬は3,000m以上)に寒気が入るとき

②地面付近に暖かく湿った空気が入るとき

①の場合、寒気や寒冷低気圧(上空に寒気を伴った低気圧)の動きは比較的遅く、日本上空を通過するのに3日程度かかることが多い傾向です。このことから「雷三日(雷雲は3日程度連続して発生する)」ということわざがあります。

筆者がこのことわざを痛感したのが、2019年8月6日に南アルプス・甲斐駒ヶ岳(2,967m)へ登山した際のことです。朝方は快晴だったものの、山頂に着く頃には積乱雲が急激に発達。14時過ぎから雷雨となり、鳴り響く雷鳴の中を”ほうほうの体”で下山しました。

前夜に宿泊した山小屋スタッフの会話で「ここ数日は夕立(雷雨)がない」という言葉を聞いていたので、前日までは大気の状態が安定していたようです。

すなわち8月6日は「雷三日」の初日に当たります。このため筆者はその後3日間程度は雷雲が発生しやすいと判断し、翌日の南アルプス・鳳凰山(2,840m)への登山を中止しました。

そしてまさに翌日の2019年8月7日、同じ南アルプスの北岳(3,193m)付近で、後に紹介する落雷による死亡事故が発生したのです。

側撃雷と直撃雷

雷雨の予兆のひとつである雹(貴さんの活動日記

人が落雷の被害に遭うケースとしては、直撃雷(人自身に雷が落ちる)と側撃雷(近くのものに雷が落ちて人が感電する)があります。登山中の落雷事故は、ほとんどの事例が側撃雷によるケースです。

にわか雨が降ってきた際に、雷鳴が聞こえないからといって大木の下や山小屋の軒下などに避難するのは絶対にNGです。雨宿りのつもりが、大木や山小屋の避雷針に落ちた雷の側撃を受けてしまいます。

同様に雷鳴が聞こえなくても、大粒の雨や霰(あられ・大きさ5mm未満の氷の粒)・雹(ひょう・大きさ5mm以上の氷の粒)が降ってきた場合も要注意。これらは雷雨がいつ襲来してもおかしくない状態です。

落雷事故の実例①|側撃雷

2019年5月4日・塔ノ岳から見た雨雲(とくさんの活動日記

ゴールデンウィーク真っ只中の2019年5月4日に、新緑が美しい丹沢山塊・鍋割山(1,272m)の山頂まで640mほどの稜線で、落雷による死亡事故が発生しました。雨が降り出したため木の下へ移動した登山者が、その木に落ちた雷の側撃を受けたのです。木から離れた場所にいた同行者にケガはありませんでした。

落雷というと夏特有の事例と思いがちですが、上空に寒気がある「大気が不安定な状態」では、夏以外の季節でも落雷のリスクがあるのです。

対馬暖流の影響で海面が温かい本州の日本海沿岸部は、冬の方が雷が発生しやすいという事実も。冬の積乱雲は高度が低いため、落雷の電流も大きくなるので注意が必要です。

落雷事故の実例②|直撃雷

2019年8月7日・北岳から見た雷雨(c27 e-POWERさんの活動日記

先ほどの「雷三日」のことわざで触れたケースです。夏山シーズンたけなわの2019年8月7日。南アルプス・北岳(3,193m)付近で落雷による死亡事故が発生しました。

午前中は快晴だったものの、昼頃から雲が発達。周辺では雹(ひょう)も降り、14時過ぎには激しい雷雨となったのです。

多くの登山者は北岳肩ノ小屋や北岳山荘へと退避していましたが、急激に天候が悪化して雷雨になったため、稜線上の岩陰で身を伏せるしかなかった人もいました。そうした登山者のひとりが、直撃雷を受けてしまったのです。

前述の通り筆者は前日に雷雨に遭遇していたため、この日が「雷三日」の中日であることを認識していましたが、あくまでも偶然に過ぎません。登山する日が1日遅れていれば、「雷三日」の最中であることに気付かなかったでしょう。

もちろん前日に甲斐駒ヶ岳で落雷の被害を受けていた可能性もあり、決して他人事とは思えない事故でした。

落雷事故防止のために①|登山前に天気図から落雷の危険度を予想

上空に寒気が入り込み大気の状態が不安定になった2019年5月4日の天気図(出典:気象庁ホームページ

東日本〜北日本上空に寒気が入り込んだ同日正午の高層予想天気図(出典:「山の天気予報」専門天気図)

落雷事故防止のためには、雷雨になりやすい気象条件の時での登山を避けることが一番。冒頭で紹介した雲が“やる気を出す”状態を、天気図から把握することが大切です。

一見すると高気圧に覆われていても、図のように上空に寒気が入り込んでいる時、または寒冷低気圧がある場合は、積乱雲が発達しやすいので注意しましょう。

前回の記事(季節ごとに注意すべき気圧配置と前線の動き|山岳気象予報士・猪熊さん監修解説)で紹介した通り、前線付近や前線の南側300km以内でも積乱雲が発達しやすく、落雷や強雨の可能性が高まります。

落雷事故防止のために②|出発時に空を見よう

晴れていたものの朝から高温多湿だった2019年8月6日の南アルプス(撮影:鷲尾 太輔)

行動を開始する時には、空を観察したり肌で空気を感じるようにしましょう。朝早くから入道雲が周囲で発生している時や、晴れているのに朝から空気がじめっとした感じがする時は、日中の天候の急変に注意が必要です。

落雷事故防止のために③|落雷の危険が高くなる前に避難

状況に応じて安全な場所へ避難を(撮影:鷲尾 太輔)

前項のように天候が急変する可能性がある場合は、落雷の危険が高まる前に山小屋やより低い場所へと避難することが重要です。携帯電話の電波が通じるエリア内であれば、リスクが高い岩場や開けた稜線などに進む前に、雨雲レーダーや落雷マップを見て危険が迫っていないかをチェックしましょう。

電波が通じない場合は、空を見渡して”やる気のある”雲が周囲にないかを確認しましょう。以下のような雲を見つけたら、注意が必要です。

①近くに”やる気を出している雲”(積乱雲)がある

②周囲で雲の底が暗く、ソフトクリームのようなモクモクした雲が天高くそびえ立っている

③雷鳴の発生元になっている雲が近づいている

④近くにある雲の下から尻尾のように垂れ下がった部分が見える

空を見渡せない場合は?(撮影:鷲尾 太輔)

ガスや霧に覆われて空を見渡すことができない状況では、以下のような現象が落雷のリスクがあるサインとなります。

①空気が急に冷たく、あるいは生暖かくなった

②雷鳴が聞こえた

③大粒の雨、または霰(あられ)・雹(ひょう)が、数滴・数粒でも降り出した

なお、視界不良でも稲妻が光ったことを視認できれば、雷鳴との時間差で現在地と落雷した場所の距離を知ることができます。光の速さは秒速約30万kmと非常に早く、1秒間に地球を7周半できることから、稲妻は発生とほぼ同時に見えます。

対して音の速さは秒速約340mとかなり遅く、稲妻が見えるタイミングと雷鳴が聞こえるタイミングにはズレが生じます。

例えば稲妻(ピカッ)と雷鳴(ゴロゴロ・ドーン・ドカン)の時間差が約10秒であれば、現在地から約3.4kmの場所で雷が発生していることになります。

落雷事故防止のために④|どこに逃げるのが安全か?

落雷リスクが高い槍ヶ岳では山頂直下の槍ヶ岳山荘に雷警報器を設置(りん壱さんの活動日記

雷の好物は「高く」「尖った」ものです。落雷の危険を感じたら、山頂や稜線上などの高い場所から、なるべく急いで退避しましょう。大きな岩などからはなるべく遠ざかり、尖ったトレッキングポールなどは自分から遠ざけて置いてください。

雨を避けるために樹林帯へ避難したくなりがちですが、高い木の真下で雨宿りをしていると、側撃雷を受ける危険性があります。先ほどの鍋割山の事例だけでなく、登山では数多く発生している落雷事故のケースです。

イラストのように、幹や枝先から4m以上離れ、なおかつ木の高さと同じ距離の範囲内が、比較的安全な場所(保護範囲)です。ただし高さ5m以下の木の場合は保護範囲がありません。

また実際には同じような樹高の木が林立していて、どの木に落雷するかわからない場合も多いものです。同じ樹林帯でも、高く盛り上がっている稜線は避けて、斜面や沢など低い場所や、木がまばらな場所へ避難してください。

落雷事故防止のために⑤|逃げ切れない時の退避姿勢

稲妻と雷鳴の時間差が5秒以内だったり、電気で髪の毛が逆立つような状況は、落雷事故の危険が切迫しています。④までのプロセスで避難が完了しているのが理想ですが、止むを得ない場合にはイラストのような退避姿勢をとります。

まずは直撃を避けるために、なるべく頭を低くした姿勢でしゃがみます。雷鳴で鼓膜が破れないよう、耳もふさいでおきましょう。両足はしっかり閉じて、地面に接している部分は靴底だけの状態にします。

地面に寝転んだり、ひざやお尻を地面につけたり、足を開いている姿勢はNGです。近くに落雷した際に身体が電気の通り道になって、心臓に致命的なダメージを負ってしまいます。