クルマ好きならずとも、かつては国民の多くが知っていたクルマの「ビッグネーム」ですが、マツダはかつてのビッグネームをほぼ残していません。どうしてでしょうか。
1980年代のマツダ主軸車種といえば「ファミリア」「カペラ」「ルーチェ」!
現在販売されるマツダ車といえば「CX-5」「MAZDA3」など、シンプルな車名が主流ですが、かつては「ファミリア」「カペラ」「ルーチェ」など様々なネーミングが与えられていました。
もはや懐かしいマツダの車名が、どのようにして現在の形態へと変わって行ったのか、あらためて振り返ります。
戦前の1930年代、3輪トラックを発売して地位を獲得したマツダ(東洋工業)が、4輪乗用車を初めて販売したのは1960年のことです。
その際に投入された軽乗用車の「R360クーペ」は、実質2人乗りのスタイリッシュなクーペでした。
しかしマツダは早くも1962年、利便性のよい4ドアセダンの「キャロル」を送り出します。
こうして乗用車販売を軌道に乗せたマツダは、続いて小型乗用車市場へと挑戦。1964年に800ccエンジンを搭載した「ファミリア」が、さらに1966年には、同社のフラッグシップを担った1500ccセダンの上位モデル「ルーチェ」が登場しました。
そして同時期の1960年代、マツダはロータリーエンジンの開発を始めています。
その成果は1967年の「コスモ」で結実。のちにロータリーエンジンは2代目ファミリアやルーチェ、「カペラ」「サバンナ」にも設定され、「ロータリゼーション(マツダの造語)」の旗印のもと、搭載車種を拡大していきました。
これによりマツダはラインナップがおおむね揃い、ファミリア、カペラ、ルーチェ、コスモ、サバンナ(RX-7)を主軸車種として販売していました。
まさに1970年代から1980年代のマツダを象徴するビッグネームです。
しかし1989年、マツダは拡大路線を選択して「マツダ」「ユーノス」「アンフィニ」「オートザム」「オートラマ(日本フォード)」という5つの販売網を用意する「5チャンネル戦略」を打ち立て、販売するクルマをリニューアルしました。
例えばファミリア、RX-7こそ残りましたが、カペラ」は「クロノス」「アンフィニ MS-6」へ、ルーチェは「センティア」「アンフィニ MS-9」へと名前を変更しました。
一方で、1970年に「シャンテ」と入れ替わって消滅した「キャロル」の名前が、「オートザム キャロル」として復活、という一面もありました。
これ以外にも、派生車種として「ユーノス100」(「ファミリア」の兄弟車)、「MX-6」「アンフィニMS-8」「ユーノス500」「オートザム クレフ」(いずれも「クロノス」の兄弟車)、さらにラインナップを充実させるべく「ランティス」「ユーノス 800」を追加するなど、ここでは書ききれないほど数多くのクルマが出現しています。
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拡大路線を推し進めた当時の車名もいまはほとんど残らず…
ところがこの急激な拡大戦略は事実上「失敗」となってしまいます。
1994年には車種統合が進められてクロノスなど数車種がラインナップから落とされ、そのクロノスの代わりになんとカペラが復活し、大きな話題となりました。
その後ブランド名はマツダに統一され、2000年代に入るとファミリアは「アクセラ」、カペラは「アテンザ」に発展します。
一方センティア、「ミレーニア(旧ユーノス800)」などのフラッグシップ系モデルは廃止されてしまいました。
当時のプレスリリースによると、アクセラは「プラットフォーム(車台)からボディに至るまで最新の技術を使って新開発。すべての領域で世界に通用するクラスを超えたグローバルカーとしての価値を実現した」と紹介しています。
アテンザは「マツダの新しいブランドメッセージ『Zoom-Zoom』)を象徴する新型車」としていました。
既存のモデルとは大きくイメージを変えつつ、マツダのブランドDNAを継承したまったく新しいモデルとしての気概が車名変更に現れていました。
たしかにこの2モデルは、マツダの5チャンネル時代の印象を大きく払拭し、現在に続く「マツダ=スポーティ」という印象を作った立役者と言えます。
さらに2010年代末からはアクセラは「マツダ3」、アテンザは「マツダ6」へと車名を変更(参考までに1996年登場の「デミオ」も「マツダ 2」に変更)しています。
このようにマツダでは、かつての同社を代表したビッグネームはほぼ消えてしまいましたが、その中でキャロルとファミリア(バン)はかろうじて存続。伝統ある名前を残しています。
なおファミリアバン以外でも、商用車部門のビッグネーム「ボンゴ」「タイタン」の車名がカタログに掲載されています。