「鉄道を破壊する抗日ゲリラ」にどう対処? 旧日本軍が中国大陸で展開した“治安維持”の方法

最終的に失敗…? 崩壊する鉄道治安作戦

 こうして鉄道をめぐる治安作戦をどうにか軌道に乗せた日本軍でしたが、それはやがて各種の要因により瓦解することになります。

 華中地域で住民宣撫(人心を宣伝や生活支援などで慰撫すること)のために日本が貸与した農機具類は、戦前に欧米からの自動化された農機具類と先進的な農業技術に接した華中の中国農民からは軽侮の念をもって迎えられ、またプロパガンダ用のレコードの類は、方言の関係から効果がなかったとされます。

 以上のようなことから、「初期の工作成果を挙げ得ざりし憾あり」と当時報告されたように、華中での治安工作は頓挫することとなってしまいました。

 また華北においては、日本軍による「大陸打通作戦」によって、日本軍自身が治安を破壊してしまうことになります。

 大陸打通作戦とは、日本軍が中国大陸の占領地から南へと攻勢をかける作戦です。この作戦では、従来の占領地から進攻のための兵力を引き抜き、空いた穴を新設の部隊で埋めることとしていました。

 進攻兵力として67個大隊が引き抜かれ、その穴を後方警備兵力70個大隊が埋めましたが、後者のうち28個大隊は戦闘力も治安維持能力にも難点のある新設部隊だったのです。

 華北でのゲリラによる襲撃は、1944(昭和19)年になると再び増加し、1552件を数えるようになります。またゲリラとの戦闘回数も1941(昭和16)年の228回(警務隊単独)から1944年には(同じく警務隊単独で)441件に上昇しています。

 その警務隊は、1944年末には日本人38%(1570人)の欠員を出すようになり、ここへさらに武器の不足と整備不良が加わりました。この結果、華北交通は京山(北京~山海関)、京漢(北京~漢口)、津浦(天津~浦口。ただし徐州~浦口は華中鉄道)に警備の重点を移行することを余儀なくされました。

 華北交通と華中鉄道は、車両の運行効率が悪くなっても、朝鮮半島の各所で貨物の滞留を起こしても、最後までその任務(軍事輸送と資源収奪)を果たそうとしたことは間違いありません。しかし中国の人々の抗日意識は、ついに数少ない治安確保地域である線(鉄道)を寸断するに至ったのでした。

※華北交通が所蔵していた約3万8000点の広報用ストックフォトなどは、統合型の研究データベース「華北交通アーカイブス」にまとめられています。