昔は駄作で今や傑作?評価がコロっと変わった「33R」

1995年1月発売当時のBCNR33スカイラインGT-R

一時は「もっとも醜いGT-R」として忌み嫌われ、スカイライン人気の凋落で最大のA級戦犯のように言われていた、BCNR33「スカイラインGT-R」。

しかしいつしか「ロングホイールベースで高速安定性に優れる」と再評価され、「25年ルール」の絡みで対米輸出が本格化してからはあれだけ安かった中古車価格もウナギ昇り!

しかも考えてみれば4ドアGT-Rやル・マン参戦、衝撃的なニスモ400Rなど重要な派生モデルが盛んだったのも「33時代」だったわけで、案外傑作なのでは?と言われています。

今回は、「あの不人気はなんだったのか」と言いたくなるBCNR33の新車販売当時を振り返ってみましょう。

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「901運動」の失敗で窮地に陥った日産が生んだBCNR33

1995年1月の発売前、1994年にニュルブルクリンクサーキット北コースで走り込み、先代BNR32のラップタイムから21秒短縮をアピールしたBCNR33の試作車

「1990年代までに技術の世界一を目指す」─たとえ販売でトヨタに負けて国内シェア2位に甘んじてはいても、”技術の日産”の誇りは失うまいと意気込んだ「901運動」の成果が1980年代末頃から市場に現れると、それらのほとんどは後世において「名車」と呼ばれました。

しかし!クルマ好きによる玄人好みは必ずしも販売とリンクしません。

保守的だからこそ安定した人気を誇るトヨタ、RVブームや3ナンバーブームに乗ってシェアを伸ばす三菱やスバルなど、新興勢力はバブル景気の勢いに乗った一方、日産の901運動車は伸び悩み、販売面からすれば明らかに失敗でした。

その煽りを喰らったのが901運動で生まれた「名車」たちの次世代組で、スカイラインなどR32型で不評だった4ドアセダンはローレルとプラットフォームを共用し、2ドアクーペはショートホイールベース版を別に作るはずが、コストダウンで4ドアベースに統一。

さらにデザインも煮詰め不足で1993年8月に発売された結果、R31型初期を思わせる「デップリしてドンくらいスカイライン復活」と言われて酷評されます。

グループAレース(全日本ツーリングカー選手権・JTC)が1993年に終了して役目を終えたはずのBNR32スカイラインGT-R後継車も、BCNR33型「第2世代2代目スカイラインGT-R」として1995年1月に発売されますが、ベース車のドン臭い印象は拭えませんでした。

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