オーシャナ編集部のセリーナがフリーダイビングの大会デビューから、目標である世界大会出場までの道のりを綴る連載記事の第4弾。今回は9月に出場してきた八丈島の大会「第5回 Blue Arch CUP 2022」について、八丈島でフリーダイビングが始まった軌跡にも触れながらお届けしたいと思う。千葉県に住む私にとって、初めての遠征となる本大会での結果はいかに…!?

目次

初めての一人船旅。いざ八丈島へ!
八丈島で「Blue Arch CUP」が始まったきっかけ
実はネガティブな気持ちを引きずったまま大会は開始。結果はいかに!?
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初めての一人船旅。いざ八丈島へ!

八丈島は、東京から約300km南下した伊豆諸島の一島。竹芝桟橋からの定期船だけでなく、羽田空港から八丈島空港へたった55分で行ける航空便も運行しているためアクセスは非常に良い。

今回私はなるべくお金を節約するために、行きは船で行くことに。大会前々日(船が欠航する可能性も考えて、余裕を持って現地入りするため)の夜PM22:30、竹芝桟橋から八丈島に向けて船が出発。八丈島含め、伊豆諸島には何度かダイビングで行ったことがあるが、船による一人旅は今回が初めて。宿の手配がうまく行っているかなどの不安と、楽しみが入り混じる気持ちで、翌朝の到着に向けて眠りについた。

朝、目が覚めると、船は海のうねりで揺れている。案の定、私は船酔いをする。AM9:00、船は無事に八丈島へと着岸。本州と同じ“東京”でも、自然の豊かさがまるで違う。ヤシの木や色鮮やかな花々が生い茂る南国情緒豊かな島だ。

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八丈島で「Blue Arch CUP」が始まったきっかけ

八丈島に到着したその日は現地でゆっくり過ごし、その翌日の大会に備えた。早速大会の様子を早くお伝えしたいところだが、その前に今回私が出場した「Blue Arch CUP(ブルーアーチカップ)」について紹介したいと思う。

「Blue Arch CUP」は今年で5回目の開催となるが、開催までの軌跡を本大会の実行委員長でもある石坂歩さん(以下、歩さん)に伺ってみた。実は歩さんが八丈島でフリーダイビングを始めたことが開催の原点にある。

歩さんは、2010年に本州から八丈島に移住してきたそう。当時、八丈島では素潜りをする人はいたものの、フリーダイビングという競技として行う人はいなかった。八丈ブルーと言われる美しい海はあったが、フリーダイビングのために沖に出られる環境は整っておらず、プールも観光客向けに「八丈島ビューホテル」というホテル併設のものだけで、歩さんもフリーダイビングのトレーニングを習いに行くために、わざわざ東京の岡本美鈴選手(以下、岡本選手)のスクールに通っていたそうだ。

しかし2011年3月、東日本大震災の影響でそのプールが使えなくなってしまった。幸いなことに八丈島は地震の被害がなく、「それなら八丈ビューホテルのプールで岡本選手らを招いてトレーニングをできないか?」、そう思った歩さんは早速この話を八丈ビューホテルの現支配人にしたところ、快く了承してくれたという。

実際に、岡本選手によるトレーニングを八丈ビューホテルのプールで行い、これをきっかけに練習場所ができた八丈島在住のフリーダイバー数名で2011年「Blue Arch」というチームを立ち上げ、毎週日曜日に数名で集まり、手探りでの練習会を開始した。もちろん練習には正しい知識を元に行おうと、歩さんはインストラクター講習などを受講し、八丈島内でのフリーダイビングの発展に貢献。島だからこそ、メンバーの入れ替わりは頻繁にあるが、常に10〜15人程度が所属しているチームとなった。

練習すれば、練習の成果を大会で発揮したくなる。しかし、大会となると開催場所である東京や神奈川、三重、沖縄などに行かなければならないというハードルもあった。そんなとき、歩さんが八丈ビューホテルの現支配人と立ち話をしていたところ、現支配人から「八丈島にはプールも、フリーダイビングに関わるメンバーも揃っている。八丈島で開催してしまえばいいのでは?」とまさかの提案があった。そういった経緯もあり、Blue Arch結成から8年目の9月に「第1回 Blue Arch CUP 2018」を開催し、参加者からも「南国の雰囲気もある屋外で泳ぐのはすごく楽しい」などと高評価だった。それが今回の「第5回 Blue Arch CUP 2022」に繋がっているそうだ。