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東京大学文科一類を受験。合格したと思っていたのに、合格者名簿に自分の名前はなかった

ゴールドライフオンライン

二度も国籍を変え、その時々の最適解を貪欲に探し求めた著者。 些々たる一人の研究者でも、確かに残したその功績とユニークな生活は存外おもしろい!現状維持の日々に悩み焦っている人にぜひ読んでほしい一冊。※本記事は、大橋慶一氏の新書『米国への往復きっぷ』(幻冬舎ルネッサンス)より、一部抜粋・編集したものです。

第二章 人生の変わり目

最初のつまづき

今度はちょっと昔のことを書く。

学校はどんなところに行かれましたかと聞かれて、

「中学高校は、教育大学附属駒場中学高校でした」

「今の筑波大学附属駒場ですね。略して、筑駒という進学校でしょう」

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「それから、大学は東京大学理学部地学科鉱物教室でX線結晶学•鉱物学を専攻して、学士号と修士号を取得。そして渡米。ハーバード大学の文理学部地学科で、同じ専門の勉強を続けてPh.D.(博士号)を取りました」

この問答をお聞きになって、どんな印象を持たれるだろうか。

自慢のように聞こえるかもしれないが実は、私の人生の予定にはなかったのだが、大学に入るのに浪人したのである。それも、二年浪人したのである。私の人生で初めてのつまづきであった。

高校卒業時、私の将来の展望は外交官だった。それで、法学部に進むべく東京大学文科一類を受験。私自身は、合格したと思っていたのだが、実際には合格者名簿に名前はなかった。

東大は落ちた場合、どの程度でダメだったのか教えてくれる。私はAということだったから、次の年に備える。予備校の試験を受けてこっちは合格。

受験勉強をしながら、将来のことを考え直す。役人になって、人との関係で自分の居場所を決めるよりも、もう少し自分自身の能力で生きていくべきだと考え直す。エンジニアを目指すことにする。またもや方向転換だ。

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