“サイコ”の異名を持つ平成ノブシコブシ・徳井健太が、世の中のあらゆる事象を生温かい目で見通す連載企画「徳井健太の菩薩目線」。第205回目は、「切り替えていこう」について、独自の梵鐘を鳴らす――。
僕は、ギャンブルの番組によく出る。
負けると、誰かが「切り替えていこう」と声を掛ける。全員が外れたのに、「切り替えていこう」と発破をかける。そこに深い意味はないんだろうけど、僕はずっと、「全然切り替えないほうがいいよね」って思っている。
たとえば、その日9レースがあったとして、1レース目から8レース目まで全敗だった場合。間違いなく負け続ける原因があるわけで、どうして切り替えなきゃいけないんだろうって思う。おそらくそれは、ただ口から発せられる意味など大して持たない記号的な言葉であることは分かっている。だけど、やっぱり切り替えないほうがいいと思う。
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似たような言葉に、「ドンマイ」がある。
よくよく考えればドンマイってなんだろう。ドントマインド。気にすんなって。何かミスをしてしまった人がいて、その人に、ピリついた場に、圧をかけたくないから、あえて軽い響きのドンマイを投げかける。「ドンマイ」。場の雰囲気が中和する。
でも、気にしたほうがいいよね。学生時代、僕はバレー部に所属していた。練習でミスをすると、チームメイトからドンマイと言われた。何百回と言われたけれど、そのたびに気にし続けた。だって絶対、俺がミスってんだから。
面倒な人間かもしれません。でも、やっぱり僕は、あんまり安易に「切り替えていこう」とか「ドンマイ」とか言わない方がいいんじゃないのって。「いや、そんなに深い意味はないんだから」、そんなことを言われそうだけど、だったら言わなくてもいいんじゃないのかって思う。「おいおい、めんどくせーな。深い意味はないんだって。だから、気にすんな」。
気にするわ。
気にしなければ、成長につながらない。まぁ、全員に当てはまるかと言われれば分からない。人によっては、「気にすんなを気にすんな」がハラスメントになるかもしれないし、実際にドンマイと言われて心が軽くなる人だっているだろう。