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杉江松恋の新鋭作家ハンティング 無限の広がりを持った小説ーー田中空『未来経過観測員』

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 文字通り、無限の広がりを持った小説だ。

参考:杉江松恋の新鋭作家ハンティング 小説が待ち焦がれた才能、坂崎かおる『嘘つき姫』

 田中空『未来経過観測員』(KADOKAWA)を軽い気持ちで読み始め、途中から、おっ、おっ、という気持ちになって没入した。あ、これ、どこまで行くんだろう、と気になる感じ。

 先に書いてしまうと、本書は自力で発見したのではなくてSF書評家の香月祥宏さんに教えてもらったのである。香月さんとはYouTubeで「これって、SF?」という月例書評番組をやっている。その中で香月さんが紹介されて、あまりにおもしろそうだったのですぐ読み始めたのだ。

 題名通りの小説である。国家は、長期にわたって未来を記録し続けようと決断した。超長期睡眠の技術が開発された。それを使って100年間眠り、1ヶ月目覚めて未来の記録を綴り、また超長期睡眠に入る。その繰り返しが500回、つまり5万年未来まで行うのである。重要な点は、これが生きた人間の視点による観測ということだ。ある人間が自分が見聞したことを書き残していく。その定点観測をするのが50人、れっきとした国家公務員であるという。主人公のモリタはこの職に応募し、選ばれた。彼の、100年ごとの目覚めが各章で綴られていく。

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 書ける部分はこれがすべてだ。ときどき止まりながら未来に進んでいく物語というと、私はH・G・ウェルズの『タイム・マシン』(角川文庫他)を思い出す。あの作品では人類が滅びてしまったと思われる、はるかな未来が描かれた。静寂極まりない、終着の浜辺という言葉がふさわしい情景に震えるほどの恐怖を覚えたものである。同じような原体験をした人も多いのではないだろうか。遠い未来を描くSFというとどうしても、人類滅亡後がどうなるのかが描かれるか否か、ということが気になる。

 どうなのかは書かないことにしておこう。本作で重要な役割を果たすのは、途中からモリタの相棒となるロエイというポストヒューマンである。進化したAIが生み出した、人間にはわからない謎技術、すなわちBX(ブラックボックス)テクノロジーによって生み出された存在で、宙に浮いた球形をしている。人間の精神が完全に移されたハードウェアで、生身の体にはできないことも可能である。たとえば100年間眠り続けるモリタを、感情を完全に遮断して待ち続けるというような。モリタにとっては唯一の随行者であり、次第になくてはならない存在になっていく。

 この他に何人というか何体というか、複数のくり返し登場する重要なキャラクターがいるのだが、ネタばらしなしに書くのは難しいので省略する。書いてもいいことは1つだけ。そのうちの1人は口がくさい。

 100年ごとの未来予想図が書かれていくのが最初の数百年で、このへんは予想の範疇に収まる。物語が動きだすのはその定型が壊れてからである。読者が思ってもみないような事件が起きて、世界が一変する。一回変わってしまったものは元に戻らないだろうから、以降その設定でどうやって話を続けていくのだろう、とはらはらしながら見守っていると、さらに意外な事態が起きる。その繰り返しで話が成り立っているのだ。

 上書きに次ぐ上書きで語られていく物語には弱点がある。驚かせればただ喜んでくれるこどもの読者と違い、おとなはひねくれているので次第に感覚が鈍磨してしまうのである。作者の狙いがこちらを驚かせることにあるとわかった時点で、ひねくれ読者は身構える。ちょっとやそっとのことじゃ驚かないぞ、と一歩引いた状態になるはずだ。どんな芝居も映画も、観客を前のめりにさせたら勝ちである。背中を椅子から引きはがすのだ。何をしても。この小説のいいところは、その何をしても、の部分に誠実さがあることで、必ず前に出てきた部品を使って次の展開を組み立ててくれる。前の話を受ければそういうことになるよな、と読者が納得する論理性は守った上で、こちらを仰天させようと手を尽くしてくるわけである。びっくりすることの連続だが、継ぎ目にぎくしゃくしたところがない。その滑らかさが第一の美点である。

 人間主義を基調にしていることが小説の性質を規定しているのかもしれない。あまりに予想外のことが起きるためにモリタは、未来経過観測という任務自体に疑問を持ち始める。彼に対してロエイは「やめてはいけません」と呼びかけるのである。なぜならば。

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