子育ては連鎖する?
【画像】「もしかして…わが子も…?」 これが「発達障害児」にみられることのある行動です(5つ)
「今の自分があるのは、親がたたいて厳しく育ててくれたからだ。だからわが子も甘やかさず、厳しくたたいて育てたい」。自身の経験から、そんなふうに言う人がいます。でも、もし過去にタイムスリップしたら、そこには納得できない自分の姿があるかもしれないと、子育て本著者・講演家である私は思います。
なぜ、つらい過去をよしとするのか。「自分の親からされた子育てを否定することは、自分の人生を否定すること」、だから無意識にそれをよしとし、体罰を肯定してしまうのかもしれません。
虐待などでトラウマを受けた子どもの心理臨床活動を行う西沢哲さんの著書「子ども虐待」(講談社現代新書)に、次の一文があります。
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「自分自身が身体的虐待などの暴力を受けて育ったという親は、その経験から『子育てには体罰が必要』という、体罰を肯定的にとらえる養育観を持つことがある。こうした養育観を背景に、『言ってもきかないときには叩(たた)いてでも教えるのが親の務め』といった具合に体罰をともなう『しつけ』を日常化させやすい」
子どもは親を選べない
ある病院の待合室で聞こえてきた会話です。診察室から出てきた親が、子どもにこう語りかけていました。
「我慢して偉かったね。注射、痛かったね。怖かったね。おうちに帰っておやつ食べようね」
優しい声に、ジーンときてしまいました。というのも、私の母は対応が違ったからです。
母は、私が泣くと「そんなことくらいで泣くんじゃない!」「注射なんて痛いのは一瞬でしょ!」「泣き虫ね!」「いつまでも泣いてないの!」と怒りました。注射が痛くて泣いているのに、泣いていることを怒られるのです。
待合室で、私は「親によってこうも違うものか…気持ちに寄り添える親に育てられた子どもは本当に幸せだなあ。悲しいかな、子どもは親を選べないもんね」と思いました。母は「強い子に育ってほしい」という願いで、私に厳しいことを言っていたのだと思いますが、強い子になるどころか、オアシスを失った私は不安感が高まり、注射嫌いはますますひどくなりました。