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「ドゥンガはフリューゲルスとの契約に乗り気でした」サンパイオ獲得の裏側【横浜フリューゲルス消滅の”真実” 第3回】

フットボールチャンネル

「全日空(スポーツ)は次のシーズン開始から契約を結びたいという。早めるのならば移籍金が必要になる。全日空側は、移籍金分を惜しんだというよりも、そのお金があるならばドゥンガに払って気持ち良くプレーして欲しいと考えていた」

 双方の思惑が噛み合わず、ドゥンガの移籍は立ち消えとなった。6月の契約終了を待ってドゥンガと契約を結んだのはジュビロ磐田だった。

「ブラジルで誰か他にいい選手はいないかって全日空スポーツから聞いてきた。私はサンパイオはどうだって答えたんです。すると木村文治さんが、サンパイオはすごい選手だ、アタックしてくれと言いました」

 セザール・サンパイオは、1968年3月にサンパウロで生まれた。86年にサントスFCとプロ契約、90年にブラジル代表に招集された。91年、パルメイラスへ移籍、93年と94年にサンパウロ州選手権とブラジル全国選手権の両方を制していた。この時期のパルメイラスは煌めくような才能を持つ若手選手が揃っており、90年代を通してブラジル最良のチームの一つとされる。

 ブラジルのほとんどのサッカークラブは、ごく一部の人間、「カルトーラ」と呼ばれる人間が権力を握っている。彼らは結果を残した選手を次々に売り払い、自分の懐に金を収める。そのため中長期的に一定以上の戦力を保つクラブはごく僅かである。パルメイラスはその数少ない例外だった。

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 パルメイラスを運営していたのは、イタリアの多国籍食品企業『パルマラット』だった。パルマラットは地元パルマを本拠地とするACパルマに加えて、92年からパルメイラスを傘下に収めていた。その他、フランスのオリンピック・マルセイユ、ポルトガルのベンフィカ、アルゼンチンのボカ・ジュニアーズとエストゥディアンテス、チリのウニベルシダーデ・カトリカ、ウルグアイのペニャロールなどの主たる資金提供者となっていた。

 坂本がパルマラットに連絡を取ると、フリューゲルスの委任状を送るように指示された。 

「委任状をファックスで流し、次の日に会うことになりました」

 パルメイラスに限らず、ブラジルのクラブはサッカーの他、他競技のチームを含めた総合スポーツクラブである。パルメイラスのサッカー部門の責任者はジョゼ・カルロス・ブルノロという男だった。バレーボールの選手であったブルノロは引退後、フィジカルトレーナー、指導者に転じた。84年のロサンゼルスオリンピックにブラジル男子代表のアシスタントコーチとして参加、銀メダルを獲得している。パルマラットがパルメイラスの経営権を取得した92年からサッカー部門の責任者となっていた。

(文:田崎健太)

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