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銀行強盗で身代わり逮捕、同門選手の怪死…〝帝王〟ロブ・カーマンが生きたオランダキック界の夜明け前

週プレNEWS

かつてオランダの格闘家のメインジョブは飾り窓(売春街)やカジノの用心棒といわれていた時代がある。新生UWFやリングスで一時代を築き上げたクリス・ドールマンがまとめ役となり、傘下の選手に仕事を振っていた。筆者がアムステルダムで取材しているときには、のちにリングスにレギュラー参戦して人気者となるディック・フライやヘルマン・レンティングが用心棒をやっていた。

そのせいかどうかはわからないが、事件に巻き込まれる選手も多かった。かつてオランダでMA日本キックと全日本キックのライト級王者、斉藤京二と闘ったアンドレ・ブリリマンというカーマンと同門の選手は何者かに射殺され、死体をドラム缶にコンクリート詰めされた状態で発見された。違法薬物の売買を巡って、トラブルとなり殺されてしまったらしい。

市内のアムステルタワーというオフィスビルを建設するための基礎工事中、流し込んだコンクリートにミロ・エル・ガブリというキックボクサーの死体が紛れ込んでいることを犯人が吐露したテレビドキュメンタリーは話題になった。すでにビルは完成しているため、掘り起こすことは不可能だという。

ブリリマンもミロも、カーマンと同じオランダ目白ジムに所属していた。カーマンも銀行強盗の疑いで収監された過去を持つ。

85年5月28日、アイントホーフェンの銀行に友人と共に覆面姿で押し入り、9000ギルダー(ユーロ導入前のオランダの通貨単位。当時のレートで約70万円)を強奪したというのだ。まさに格闘技版『俺たちに明日はない』ではないか。事件発生からわずか30分でカーマンと友人はスピード逮捕され、懲役18ヵ月の判決を受けている。

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この話には後日談がある。実は、銀行強盗を行なったのはカーマンに車を借りた別の友人だった。この友人はカーマンと容姿がそっくりだったため、警察はカーマンを誤認逮捕してしまう。しかしカーマンは、友人の身代わりとなってそのまま収監されたというのだ。

結局、自責の念にかられた友人が自首したことでカーマンは無罪放免となった。そうすることで、友人に猛省してほしかったというのだが、筆者は別の理由もあったのではないかと想像してしまう。よほどの理由がない限り、友人の身代わりで刑務所に入るなんて考えられない。事の真相をカーマンは墓場まで持っていってしまった。

誤認逮捕のダメージは大きく、85年5月12日にオランダでラクチャートと2度目の対決を行なってから次の試合まで、1年5ヵ月もの長いブランクをつくることになってしまった。

とはいえ、刑務所に入っている間もカーマンは練習を欠かさず、ときには面会に訪れたオランダ目白ジムのヤン・プラス会長が持つミットで練習することもあったと聞く(日本と比べると、オランダの刑務所は自由の度合いが大きい。テレビが設置された個室もある)。出所直後に組まれた再起戦ではキャリア史上唯一、スキンヘッドでリングに上がっている。


現役引退後の2006年、『UFC57』で弟子のブランドン・ヴェラのセコンドに付くカーマン

今、「We are kickboxers」のフェースブックには83年当時のカーマンたちのオランダ目白ジムでの練習風景がアップされている。動画の概要欄の冒頭に名前が記されたカーマン、ブリリマン、ミロの3名はもうこの世にいない。

(つづく)

文/布施鋼治 写真/長尾 迪

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