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絶えず変化する時代の価値観を分かち合うために。TBWAHAKUHODOインタビュー

Qetic

私たちが価値観に触れるのはどんな時だろう。初対面の人と出会う時、友人やパートナーと会話する時、同僚やクライアントとともに仕事に励む時、話題の本を読んでいる時、センセーショナルなニュースを見た時、音楽やアートを鑑賞している時、食事をしている時……。考えを巡らせると、その機会が際限なく思い浮かんでくる。もしかすると日常生活のいついかなる時でも、私たちは誰かの価値観に身を委ねていて、誰かに影響を与える自身の価値観を共有しているのかもしれない。そうするうちに、人々の価値観は目まぐるしく変化していく。このVUCA時代において、その変化はより顕著になっているはずだ。

米・NYを中心にグローバルに展開する広告会社TBWAWorldwide(以下、TBWA)のカルチャー・インテリジェント組織であるBackslashは、変化の絶えない価値観を捉える活動を2016年に始動。その多岐にわたる活動の中で、市井の価値観の変化の兆し「EDGE」を読み取るレポート『EDGES』を毎年発表している。先日TBWAと博報堂のジョイントベンチャーであるTBWAHAKUHODOが、今年度のレポート『EDGES 2024』の日本語訳版をリリース。このリリースに際し、QeticではBackslash Japanのリーダーを務める田貝雅和、グローバルメンバーのソイカ・パトリーツィヤの2人にインタビューを実施し、彼らの活動について訊いた。

INTERVIEW:TBWAHAKUHODO Backslash Japan

Backslashの根幹を成すTBWAHAKUHODOのカルチャー「Disruption®︎」

──Backslashのお話に入る前に、TBWAHAKUHODOさんの設立の経緯についてお伺いしたいです。

田貝雅和(以下、田貝):2006年にTBWAHAKUHODOは誕生したんですが、その前身にあたる会社がいくつかあります。1つは博報堂です。博報堂は92年に日産自動車の責任代理店となり、日本におけるマーケティング活動をメインに行っていました。もう1つはTBWAです。TBWAは日産の海外におけるマーケティング活動を行っていました。そして、日本と海外におけるマーケティング活動を一気通貫で行えることを目的に、TBWAと博報堂がそれぞれ出資し、2000年にG1ワールドワイドという会社を設立しました。G1ワールドワイドは、米・欧・日本で活動拠点を持っており、日本における日産のマーケティング活動は、博報堂G1とTBWAJAPANの2社で行っていましたが、日本における活動も統合するという視点で、TBWAJAPANにおける、「広告部門のTBWATOKYO」と博報堂G1が2006年に統合してTBWAHAKUHODOになりました。

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──その当時から今も続くTBWAHAKUHODOさん独自の概念「Disruption®︎」はどのような概念なんでしょうか?

田貝: 2001年に発売されたクレイトン・クリステンセンの著書『イノベーションのジレンマ』をきっかけに、学界やビジネスシーンで“Disruption”が「創造的破壊」という意味で使われるようになりました。実はその本が発売される以前からTBWAでは同じ意味合いで使っていたんです。

「Disruption®︎」は、1990年代にTBWAのクリエイティブのトップだったジャン=マリー・ドリューがクリエイティブの考え方をメソッド化したものであり、今ではTBWAの理念にもなっている重要なコンセプトです。TBWAでは「既成概念を破壊しビジョンを実現するために破壊的なアイデアを発想する」というまさに創造的破壊という意味で使われています。TBWAの主なクライアントである日産やAppleとは1990年代からお付き合いがありますが、当時から彼らはある種ディスラプターと言えるような存在でした。彼らの「業界の権威をひっくり返して、新しい世の中を作る」というマインドセットとTBWAの概念である「Disruption®︎」との相性が非常に良かったんですね。我々とともに広告活動を続けていく中で彼らも世界中で認知を獲得していき、今のブランドの地位を築いていきました。

──Backslashは「Disruption®︎」の考え方をより世間に広めていくためのプロジェクトということでしょうか?

ソイカ・パトリーツィヤ(以下、ソイカ):もちろん「Disruption®︎」を広めることもミッションの1つですが、Backslashが掲げる大事なミッションは、広告の戦略を考える上で未来を見据えるだけでなく過去を振り返ることや、世間に受け入れられているカルチャーの影響を探索することです。

立ち上げのきっかけとなったのは当時のSNSの興隆でした。立ち上がり時期の2014〜2015年は、新たなアテンションとしてSNSが広告業界で注目され始めていました。その興隆に伴ってコンテンツが多くなりすぎてしまい、SNSで語られるカルチャーに目を向けなければブランドの価値をあまり生み出せなくなってしまっていたんです。当時は「競合の広告に対してだけでなく、カルチャーの中でも闘っていかなければいけない」という考えが広告業界の共通認識になっていました。

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