しかし翌寛仁4年(1020年)7月3日、現地の常陸国で卒去してしまったのでした。
卒去(そっきょ)とは貴人が亡くなることを意味しています。
生年不詳なので厳密な享年は不明ながら、紫式部らの生年より若いため、アラフォーくらいではなかったのでしょうか。
エピローグ・未亡人の悲劇
普通、国司が亡くなると遺された妻子は帰京します。地方よりも上方に戻った方が何かとチャンスに恵まれるからです。
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しかし惟通とその未亡人らは常陸国に留まりました。亡き夫の墓があるからという情緒的な理由より、荘園などの経済基盤がすでにあったからと考えられます。
しかし寛仁4年(1020年)閏12月、惟通の未亡人が常陸国の住人・平為幹(たいらの ためもと)に強姦されてしまう事件が発生しました。
惟通の母親(紫式部の継母)はこれを国司に訴え出たため、為幹は逮捕されます。
しかし翌年、どうした訳か為幹は無罪放免とされてしまったのでした。恐らく役人が賄賂をもらいでもしたのでしょう。
経済基盤はあっても、強力な後ろ楯を持たない惟通の遺族は、泣き寝入りを強いられたものと思われます。
終わりに
以上、紫式部の異母弟・藤原惟通について、その生涯をたどりました。
紫式部との関係性が薄いため、おそらく大河ドラマ本編には登場しないでしょう。
でも、もしかしたらワンチャン出るかも……出てきたら面白いですね!